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瀬野八
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瀬野八(せのはち)とは、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線八本松駅 - 瀬野駅間 (10.6km) の通称である。本区間は広島県東広島市と広島市安芸区にまたがっており、鉄道としては急勾配の坂となっている。また、近世山陽道の大山峠〔大山峠は近世山陽道にある峠で八本松町宗吉の南辺から、飯田、広島市安芸区上瀬野に至り(広島県文化百選5・道編 中国新聞社 p28を参照)、瀬野八よりも南に存在する。広島ヨリ赤間関ニ達スル鉄道線路撰択ノ件には「七條椛坂」と「瀬野峠」の記載があるが、七條椛坂は瀬野川支流の椛坂川上流の地名である。〕に平行する形で軌道が設置されており、この区間は鉄道開設以前からも難所となっていた。 == 概要 == この区間は、山陽鉄道により1894年6月10日に開通した。同社は急勾配を避ける方針で路線を敷設したが、この区間は経済性を優先して最短経路で敷設したことから、瀬野駅から八本松駅に向かって22.6‰(パーミル)〔1000メートルあたり22.6メートルの高低差。〕の連続急勾配区間となった。ルート決定に対し、別案として現在の芸備線沿いを通る緩勾配案や熊野町を抜けるルートも検討されていた〔『広島駅七十年のあゆみ』4ページ〕。開業時の時代背景として、日清戦争開戦直前で、軍部がルート変更をしてはいけないとする強い意向も存在した事実もある〔中国新聞 夕刊1972年7月26日 P.6〕。このため蒸気機関車時代から現在の電気機関車に至るまで、開業以来上り列車には補助機関車(補機)を連結するボトルネック区間となった。 八本松駅から瀬野駅の間には「JR西日本 八本松変電所」と「JR西日本 瀬野変電所」の2カ所の変電所が整備され、上り側は架線がツインシンプルカテナリー式になっている。また以前は、瀬野駅に隣接して1894年から1986年まで補機を駐在させるために瀬野機関区が、また中間地点には1912年から1939年まで上瀬野信号所が存在した。 ファイル:Seno-hendensyo-20120923.JPG|瀬野変電所 ファイル:Hachihommatsu-hendensyo-20121013.JPG|八本松変電所 ファイル:Seno-kikanku monument.jpg|瀬野機関区跡 ファイル:Kamiseno Shingosho 20120923-1.JPG|上瀬野信号所跡 ファイル:Senohachi Overhead lines 20121013.JPG|架線は下り側(手前側)はシンプルカテナリー式に対して、上り側(奥側)はツインシンプルカテナリー式になっている 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瀬野八」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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