|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
セバスチャン・ルネ・グロジャン(Sébastien René Grosjean, 1978年5月29日 - )は、フランス・マルセイユ出身の男子プロテニス選手。シングルス自己最高ランキングは4位(2002年10月)。ATPツアーでシングルス4勝、ダブルス5勝を挙げた。身長175cm、体重72kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 == 選手経歴== 1996年にプロ入り。ジュニア時代には1996年全仏オープンジュニアダブルスで優勝している。1997年全仏オープンで主催者推薦選手として4大大会に初出場した。 1998年のウィンブルドンで予選を勝ち上がり、本戦の4回戦でピート・サンプラスに挑戦した。2000年6月にイギリス・ノッティンガムの大会(芝生コート、ウィンブルドン前哨戦の1つ)でツアー初優勝した。 2001年は全豪オープンと全仏オープンの2大会連続で、4大大会の準決勝に進出した。全豪オープンの準決勝ではフランスの同僚選手、アルノー・クレマンに 7-5, 6-2, 6-7, 5-7, 2-6 の逆転負けを喫した。この試合ではグロジャンが2セット・アップ(自分が2セットを先取した状態)の後、第3セットのタイブレークを取れば勝利(決勝進出)が目前に見えた段階で、クレマンが反撃を開始し、第4・第5セットを奪う展開の試合だった。同年の全仏オープンでは地元の声援を背負いながらも、準決勝でスペインのアレックス・コレチャに 6-7, 4-6, 4-6 のストレートで敗れた。パリ・マスターズの決勝でエフゲニー・カフェルニコフを 7–6(3), 6–1, 6–7(5), 6–4 で破り初めてのマスターズ大会のタイトルを獲得。最終戦のテニス・マスターズ・カップでは決勝でレイトン・ヒューイットに 3–6, 3–6, 4–6 で敗れ準優勝した。オーストラリアとのデビスカップ決勝にも出場し、グロジャンはレイトン・ヒューイットとパトリック・ラフターに敗れたが他の3試合を制し、フランスは3勝2敗で優勝した。 ウィンブルドンでは、グロジャンは2003年・2004年の2年連続で準決勝に進出した。ウィンブルドンの前哨戦であるロンドン・クイーンズクラブの大会でも2003年・2004年と2年連続の準優勝があり、芝を得意にした。オリンピックのフランス代表選手としても、2004年アテネ五輪で男子シングルスの準々決勝に進んだ。 2003年に日本の「ジャパン・オープン」に出場した時は、決勝でドイツのライナー・シュットラーに 6-7, 2-6 で敗れて準優勝に終わっている。 2007年10月、地元フランスのリヨン大会で単複優勝を果たした。シングルス決勝ではマルク・ジケルを破って5年ぶりのタイトルを獲得し、ダブルスではジョー=ウィルフリード・ツォンガと組んで優勝した。この優勝が最後の優勝になった。 グロジャンは2010年に32歳で現役を引退した。 現在はリシャール・ガスケのコーチをしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セバスチャン・グロジャン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|