|
ミゲル・フアン・セバスティアン・ピニェラ・エチェニケ(、1949年12月1日 - )は、チリ共和国の政治家。同国元大統領(第35代、2010年-2014年)。元上院議員。国民革新党所属。 クレジットカード会社やメディア、航空会社など、多くの会社や株式を所有。米経済誌「フォーブス」から総資産22億ドルで世界437位にランクされ、他にもサッカーのクラブチームを所有するなど、チリ有数の大富豪である。セシリア・モレールと結婚し、子供を4人もうけている。実弟は歌手であるミゲル・ピニェラ。カトリック信徒である。 == 経歴 == 父が国連大使だったので、少年時代はベルギー、アメリカ合衆国に住んでいた。チリ・カトリック大学(PUC)で商業工学を学び、1971年に卒業した。経済学を学ぶため、ハーバード大学に留学した経験がある。1971年から1988年にかけて、チリカトリック大学、チリ大学、アドルフォ・イバニェス大学で経済学を教えた。 1978年にタルカ銀行頭取、1980年からシティグループのシティコープ・チリの総支配人や会長を務めた。 1990年に独立系の政党から上院議員に当選後、国民革新党へ入党。2001年に同党の党首に就任し、2005年には大統領選に立候補するが落選。株主として、国営テレビ局Chilevisiónの100%分、ラン航空の27%分、サッカークラブCSDコロコロの13%分を一頃所有した。 2010年、チリ共和国の大統領に選出され、同年3月11日に就任。この日にピチレム付近でM6.9の大地震が発生し、就任式の直前と最中にも余震が生じた。8月から10月にかけてはコピアポ鉱山落盤事故の対応にあたった。 2010年11月15日に東京都庁を訪れ、大地震などの際に初動対応の指揮が行われる防災センターを視察した。 2011年、チリのパタゴニアのHidroAysénという水力発電所の建設計画や、全国で起こった大規模な学生抗議行動 などにより、支持率が2009年末の63%から36%に低下した〔After the Miners' Triumph: How Chile's President Lost His Mojo タイム, 2011年7月3日〕。2014年2月、任期の終了前には支持率が50%に挙げた。 2012年3月に再び来日し、東日本大震災で被災した岩手県南三陸町を視察した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セバスティアン・ピニェラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|