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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
セルゲイ・ハリトーノフ(Сергей Xаритoнoв、Sergey Kharitonov、男性、1980年8月18日 - )は、ロシアの総合格闘家、キックボクサー。アルハンゲリスク州アルハンゲリスク出身。ゴールデン・グローリー所属。リャザン高等空挺指揮学校(士官学校)卒業。 「ロシア軍最強兵士」、「死神落下傘」などの異名を持ち、PRIDEでは入場時に、赤の広場の上空を空挺部隊のヘリが飛び交うという演出がなされていた。 == 来歴 == === 総合格闘技 === モスクワの小さな総合格闘技大会に出た際、ヴォルク・ハンにスカウトされ、リングス・ロシア(ロシアン・トップチーム)入り。エメリヤーエンコ・ヒョードルがレッドデビルに移籍した後は、ロシアン・トップチームのエースとして活躍する。 バックボーンはコマンドサンボ、ボクシング。特にボクシングの技術は、ミルコ・クロコップをして「相当高い」と言わしめるほどで、ボディブローの威力は抜群。『PRIDE GP 2004』で対戦したアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラは試合後「あんな強烈なボディブローは受けたことがない」と絶賛した。また、プロ入り前にロシアのアマチュアボクシング・ナショナル大会で準優勝した経験を持つ。 2003年10月5日、PRIDE 武士道にてPRIDEデビュー。ジェイソン・信長と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。 2004年2月1日、PRIDE.27でLA・ジャイアントと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。 2004年4月25日、PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦のヘビー級グランプリ1回戦でムリーロ・ニンジャと対戦し、KO勝ち。 2004年6月20日、PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUNDのヘビー級グランプリ2回戦でセーム・シュルトと対戦。マウントを奪ったハリトーノフは、脚を使ってさらにシュルトの動きを封じ、マウントパンチと鉄槌打ちを振り下ろしTKO勝ちを収めた。シュルトの目が腫れ上がり出血もひどく、地上波に映すには残虐性が高いため、ダイジェスト版でしか放送されなかった。控室での他選手の反応なども中継されていたが、ヒース・ヒーリングは「このロシア人は怖すぎる」、ケビン・ランデルマンは「人を殺しそうな戦い方だ」と言い、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラやエメリヤーエンコ・ヒョードル でさえも言葉を失う等冷酷なファイトに驚きを隠せない様子であった。シュルトは試合後、「怖かった。手も足も出なかったよ」と語った。 2004年8月15日、PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦のヘビー級グランプリ準決勝でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦。試合のペースを掴まれ判定負け。 2005年2月20日、PRIDE.29でチェ・ム・ベと対戦し、パンチラッシュでTKO勝ち。 2005年6月26日、PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDでペドロ・ヒーゾと対戦し、膝蹴りでダウンを奪い、追撃のサッカーボールキックとパウンドでKO勝ち。 2005年8月20日、リングス・ロシアの重鎮であるニコライ・ズーエフが立ち上げたリングス・エカテリンブルクの旗揚げ戦に参戦。フランスのピーター・ムルダーに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。 2005年10月23日、PRIDE.30でファブリシオ・ヴェウドゥムと対戦し、2-1の判定勝ち。 2006年2月26日、PRIDE.31でアリスター・オーフレイムと対戦。試合開始直後にテイクダウンされた際に肩を脱臼し、サイドポジションからの膝蹴りの連打で自身初のTKO負け。エメリヤーエンコ・ヒョードル、ミルコ・クロコップ、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに次ぐ存在と目されていたが、ノゲイラ戦でも指摘されたスタンドでのレスリング技術、グラウンドで下になったときの技術に難があるとの弱点を露呈した。 2006年9月10日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦において、かつての同門であるエメリヤーエンコ・アレキサンダーと対戦し、パウンドでTKO負けを喫し、2006年に入ってから2連敗となった。 2007年2月24日、PRIDE.33でマイク・ルソーと対戦。腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。 2007年、ロシアン・トップチームを離れ、ゴールデン・グローリーに加入。移籍とともにHERO'Sへの参戦を表明。 2007年9月17日、HERO'S 2007 ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦でアリスター・オーフレイムと再戦し、パンチによるTKOで勝利しリベンジを果たした。試合後、かつて所属していたロシアン・トップチームの同門であるエメリヤーエンコ・ヒョードルとの対戦を希望した。なお、この試合のみゴールデン・グローリーではなく、クラブ・ヴォルク・ハンの所属となっていた(その後の試合ではゴールデン・グローリー所属)。 2008年9月23日、DREAM.6でジミー・アンブリッツと対戦し、パウンドによりタップアウト(DREAMの公式記録はKO)勝ち。 2009年4月5日、DREAM.8でジェフ・モンソンと対戦し、ノースサウスチョークで一本負け。 2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜で水野竜也と対戦し、右膝蹴りでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しKO勝ちを収めた〔【Dynamite!!】 高谷が王座奪取!長島☆自演乙が青木をKO!石井はバンナに辛勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月31日〕。 2011年2月12日、Strikeforce初参戦となったStrikeforce: Fedor vs. Silvaで行なわれたワールドグランプリ1回戦でアンドレイ・アルロフスキーと対戦し、右フックでダウンを奪ったところにパウンドで追撃し、KO勝ちを収めた〔【Strikeforce】ハリトーノフ勝利も、深刻なオルロフスキー MMAPLANET 2011年2月13日〕。 2011年9月10日、Strikeforce: Barnett vs. Kharitonovのワールドグランプリ準決勝でジョシュ・バーネットと対戦し、肩固めで一本負け〔【Strikeforce】バーネット圧勝でヘビー級GP決勝進出 MMAPLANET 2011年9月11日〕。 2012年6月1日、母国ロシアにてジョン・デルガドに秒殺一本勝ち。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セルゲイ・ハリトーノフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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