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セルジオ・バッジーニ : ミニ英和和英辞書
セルジオ・バッジーニ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

セルジオ・バッジーニ ( リダイレクト:セルジオ・バッツィーニ ) : ウィキペディア日本語版
セルジオ・バッツィーニ[ちょうおん]


セルジオ・バッツィーニSergio Bazzini, 1935年2月26日 - )は、イタリア脚本家映画監督である〔Sergio Bazzini, Internet Movie Database, 2010年9月26日閲覧。〕。英語・フランス語読みで-バッジーニと日本で表記されることもある〔セルジオ・バッジーニ、キネマ旬報映画データベース、2010年9月26日閲覧。〕〔セルジオ・バッジーニ、''movie-fan.jp'', 2010年9月26日閲覧。〕。
== 人物・来歴 ==
1935年(昭和10年)2月26日、イタリアのトスカーナ州ピストイア県ピストイアに生まれる〔。
1960年代初頭に助監督となり、ジャンフランコ・パロリーニマッシモ・ミダに師事し、ジャーロ系映画の製作にたずさわる〔。1966年(昭和41年)、脚本家としてデビュー、イタリア式の集団執筆体制に加わっていく〔。
1969年(昭和44年)、アメリカの「パブリック・エネミー・ナンバーワン」と呼ばれたジョン・デリンジャーを描くマルコ・フェレーリ監督の『デリンジャーは死んだ』の脚本を書く〔。同年6月16日 - 同年7月16日に撮影〔Roberto Chiesi, ''Jean-Luc Godard'', Roma : Gremese, ISBN 888440259X, p.107.〕された、ジャン=リュック・ゴダールジャン=ピエール・ゴランを中心とした映画製作集団「ジガ・ヴェルトフ集団」による『東風』の脚本執筆に同集団名義で参加する〔。
1971年(昭和46年)、イタリア放送協会によるテレビ映画『訪問者』で映画監督としてデビューした〔。1974年(昭和49年)には監督第2作『女性は美しい』を演出した〔。同年、マウロ・ボロニーニ監督の『哀しみの伯爵夫人』の脚本執筆に参加する〔。以降、ボロニーニ作品の脚本を多く執筆した〔。
1985年(昭和60年)以降、1990年代は執筆のペースが落ちるが、2004年(平成16年)、ダニエレ・チニ監督の『ラスト・フード』の脚本執筆に参加した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「セルジオ・バッツィーニ」の詳細全文を読む




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