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セルプホフ(, Serpukhov)は、ロシア連邦のモスクワ州南部にある古都。大河オカ川にナーラ川が合流する地点に位置する。モスクワからは南へ100km弱の距離にあり、モスクワ-トゥーラ-オリョール-クルスク-ベルゴロドを経てウクライナ国境に向かいシンフェロポリに至る高速道路M2、およびモスクワ-トゥーラ間の鉄道が通る。人口は、2002年国勢調査で131,097人。 == 歴史 == セルプホフの町は1339年、モスクワへの南からの侵入を防ぐ目的で建設された。その2年後、セルプホフは、後のモスクワ大公ドミトリイ・ドンスコイのいとこで親しい仲間でもあったウラジーミル(セルプホフのウラジーミル)の分領地となり、強力なセルプホフ公国へと発展した。この分領は1456年に最後の公がリトアニアへ亡命するまで続いた。 セルプホフは、モスクワ大公国のイヴァン3世がへの臣従と貢納を拒否して撃退したウグラ河畔の対峙の際に、モスクワ軍の強力な基地となった。しかしセルプホフは、バトゥ家断絶後にジョチ・ウルスのハンとなったトクタミシュ、クリミア半島を中心に栄えたクリミア・ハン国、その他南方のステップ地帯から襲ってくる軍勢により何度も落とされている。攻城戦に耐えるために木造のクレムリ(城塞)を石造へと強化する必要が生じ、1556年に石と煉瓦のクレムリが完成した。このクレムリは、モスクワ南方に設けられた逆茂木線(Great Abatis Border)と呼ばれる要塞線の一部をなしていた。 モスクワ・ツァーリ国の国境が南へ拡大すると、セルプホフは軍事的な重要性を失った代わりに商業および宗教の中心地へと発展した。19世紀には繊維工業も発達している。ソビエト連邦時代にも工業の集積が進み、自動車メーカーのSeAZ(セルプホフ自動車工場)の本拠地となったほか、家具工場や衣服工場や製紙工場も栄えた。SeAZでは1980年代以来、小型車のVAZ-1111(「オカ」)を生産している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セルプホフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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