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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream
セントマリー川(、、セントマリーズ川、セントメアリーズ川とも表記される)は、北アメリカ五大湖のスペリオル湖、ホワイトフィッシュ湾の端に始まり、南東に74.5マイル (120 km) を流れてヒューロン湖まで、落差では23フィート (7.0 m) の川である。その全長がカナダ=アメリカ合衆国国境となっており、東岸(北岸)はカナダのオンタリオ州、西岸(南岸)はアメリカ合衆国のミシガン州である。 川沿いにある重要地点は急流と、スーセントマリー (ミシガン州)、スーセントマリー (オンタリオ州)の双子都市であり、人工物としては国境のアメリカ側にあるスーセントマリー運河が名高い。スーセントマリーの急流は、スペリオル湖から川に入った直ぐ下流にある。 オンタリオ州側にあるこの川の支流はガーデン川とバー川である。その他カナダ側にはフォート・クリーク、ルート川、リトルカープ川、ビッグカープ川、ローワーエコー川、デスバラッツ川、トゥツリー川がある。アメリカ側では、ゴゴメイン川、マヌスコング川、リトルマヌスコング川、シャーロット川、ウェイスカ川がある。 == 歴史 == ヨーロッパ人がこの地域に入ってくる以前、インディアンが漁労や交易を行い、急流近くでは陸送を行っていた。フランス人探検家エティエンヌ・ブルレが1621年頃にこの急流を旅した最初のヨーロッパ人になった。1641年イエズス会宣教師アイザック・ジョーグとシャルル・レインボーがブルレと同じ経路を辿り、急流近くで多くのオジブワ族と出逢い、そこをスーセントマリーと名付けた(スーは古フランス語で急流を意味する)。 1796年、カナダ側の岸にセントジョゼフ砦が建設され、交易基地を守り、イギリスがその地域を支配する拠点にした。この砦は1812年に始まった米英戦争でその役目を十分果たした。 1855年5月、エラスタス・コーニングのセントマリー滝船舶運河会社が最初の近代的閘門を完成し、「アメリカンロック」と呼ばれた。今日、川のアメリカ側には4か所に閘門があるが、常に使われているのは2か所のみである。1959年、スーセントマリー運河が五大湖水路体系の一部に組み込まれた。 1895年、カナダ側の競争意識からカナディアンロックが建設された。1885年に北西部反乱が起きたとき、アメリカがカナダの軍船の通行を拒んだことから、カナディアンロックが建設されることになったという説もある。現在のカナディアンロックはレクリエーション・ボートが利用している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セントマリー川」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 St. Marys River (Michigan-Ontario) 」があります。 スポンサード リンク
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