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ゼンジー北京(ゼンジー ぺきん、本名 渡辺重信、1940年1月3日 – )は、広島県出身〔OG VOL.33 OG EXPRESS「魔・奇術号」ゼンジー北京物語 〕のタレント、手品師である。和光プロダクション所属。 ==人物・略歴== 大阪府立春日丘高等学校を卒業後、ゼンジー中村に弟子入りし「魔法のグループ」で後見で初舞台。1963年に独立し新花月を皮切りに角座に出演。 「タネモシカケモ、チョトアルヨ」「ヨークミテ、チョウダイ」などの怪しげな語り口は、たまたま事務所の隣が中国料理店で、そこの店員の喋り方を真似たもの。元々人前に立つと緊張のあまり声が出なくなる程の極度のあがり症で、新人時代はまともに舞台をこなせず苦労していたが、この会話手法を取り入れて別の人格で舞台で演じていると意識することにより、あがり症を克服したという。 コスチュームも中国風に変え「ハイ! ワタシ中国ハ広島のウマレアルヨ!」(中華人民共和国(中国)と広島のある中国地方をかけた)という協和語のような口上と共に舞台に立ち、これが大いに受けてテレビに出るようになった。喋りながらマジックをするコミックマジックの第一人者である。最初はすぐにタネがバレるような稚拙なマジックで笑いを取るが、ショーの終盤では必ず高度なマジックを披露して締めるのが定番。持ちネタは200種類。ラーメンどんぶりを抱えて前転し、こぼさないというのが鉄板のネタである。 1984年には芸名縁の地である中華人民共和国の北京にて公演。同年、第13回上方お笑い大賞受賞。翌年1985年には大阪サンケイホールに於いて芸能生活25周年の記念公演。 近年は、子どもに見せるための手品集を出版する他、多方面で活躍。弟子にゼンジー・一億らがいる。 2004年、大阪市市民表彰文化功労部門を受賞。 2007年8月、心筋梗塞により意識不明となり緊急入院。その後、「生存率2%」と言われた状態から奇跡的に回復し退院。同年12月、ワッハ上方で「復活祭」ライブを行った。 2008年8月、日本奇術協会関西支部の初代支部長に就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゼンジー北京」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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