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前身は京城帝国大学と認知されており、日本の帝国大学の一つであった。 == 沿革 == 1946年10月15日、当時のアメリカ軍政庁の指示・指導のもと、9つの専門学校(京城医学専門学校、京城法学専門学校、京城歯科医学専門学校、京城工業専門学校、京城鉱山専門学校、水原農林専門学校、京城経済専門学校、京城師範学校、京城女子師範学校)を統合して一つの国立大学を開設しようとする「国立ソウル大学校案」(国大案)によって開設された。 1924年(大正13年)に日本が創設した京城帝国大学(1946年に京城大学と改称)は、米軍法令102号により1946年8月22日に一旦閉鎖されているため、法的にはソウル大学校との連続性がない。とはいえ、理事会や施設等が旧京城帝大関連のものであるなど、両者の関連性は深い。ソウル大学校の公式見解では京城帝大を起源とはしていないが、一部の学部では日本統治時代の学校を前身としているところもある。同窓会組織においても、旧京城帝大卒業者は正会員として認められており、また日本の旧帝国大学の卒業生団体『学士会』は京城帝大の学士号および博士号、修士号の取得者に入会資格を与えている〔社団法人学士会「学士会について」 〕。 初代学長はアメリカ人のハリー・B・アンステッド。韓国人の学長は1947年に就任した李春昊が最初。1950年9月に京城薬学専門学校がソウル大学校へ移管され、ソウル大学校薬学大学となった。 朝鮮戦争では、一時釜山に避難していたことがある。 なお、韓国の大学は大学内の専攻組織の構成が日本と異なっている。ソウル大学校の場合も同様で、「ソウル大学校―○○大学―××学部/△△学科」という入れ子構造になっている。もともとは学科制であり、学部はなかったが、1990年代末から学科を統合して学部を設ける傾向も見られる。ただし、その場合でも、学部はソウル大学校の下にすぐ属するのではなく、大学(分科大学)の下に属している。しかし自由専攻学部のように、大学校のすぐ下に属する学部もある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ソウル大学校」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Seoul National University 」があります。 スポンサード リンク
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