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ソジュ(、朝鮮漢字: 燒酒)は朝鮮半島で製造されている蒸留酒。朝鮮半島古来からの伝統酒の一種。日本の焼酎に相当するものであるため、韓国焼酎とも。 伝統的にコメから造られてきたが、第二次世界大戦・朝鮮戦争後から経済成長期にかけてのコメ不足を契機としてジャガイモ、コムギ、オオムギ、サツマイモ、タピオカなどのでんぷんを加えたソジュや、完全にこれらの原料から作るソジュが造られるようになっている。 ソジュは無色透明でありアルコール度数は20%から45%までと様々だが、20%がもっとも一般的になっており、健康志向からか度数の低いソジュが好まれる傾向が1990年代以降に強まっている。その味はウォッカなどと似ているが、製造過程で砂糖や香料が加えられることもあるので若干甘めである。 ソジュとは、中国語の「焼酒」()から来ている。英語のブランデーもオランダ語が語源で元の意味は「焼いたワイン」(brandewijn = burned wine)であったことから、偶然にせよ洋の東西で蒸留酒が同じような語源をもつ言葉で表されていることになる。 == 歴史 == ソジュは1300年頃、高麗が元王朝の支配下にあった時期にはじめて製造された。1256年以降のモンゴルの中央アジア・中東征服の過程で、ペルシャ人からモンゴル人にアラック(arak)という蒸留酒の製法が伝わっていた。アラックは中国や高麗などモンゴル人が支配する各地へも伝わり、高麗の首都・開城の付近にもアラックを造る蒸留所ができた。これがソジュにつながっている。開城付近では、ソジュはアラクジュ()の名でも呼ばれている。もとはソジュを飲んで死んだ人もいるほどにきつい酒であった。製造が難しく高級酒とされ、主に王室や両班のような支配階層に飲まれた。薬用に飲まれることも多かった。家庭料理集である『飲食知味方』などに醸造法が記録されていることで民間でもよく製造された。また、甘紅路、竹瀝膏、梨薑膏なと多くの種類のソジュが製造された。これらは、クモノスカビでコメを発酵させマッコリにし、重ねた壷でマッコリを単式蒸留するという方法であった。 日本統治時代に大衆化が始まり、日本からコウジカビと連続蒸留装置を用いて大量に生産する方式(日本の「焼酎甲類」と同様のもの)が取り入れられた。1916年、朝鮮全土で醸造所の数は28,404か所にも達した。ただ、この時期に梨薑膏など伝統焼酒は消えた。代表的なメーカーである眞露(ジンロ)は1924年に平安南道龍岡郡で張学燁が創業した真泉醸造商会が前身で、朝鮮戦争で南へ逃れ、1953年にソウルに移転している。 戦後の高度成長期の韓国ではコメ不足が起こったため、1965年から1991年の間、政府は穀物を発酵させたもろみから直接ソジュを蒸留するという伝統的な製法を禁じていた。代わりにイモやタピオカなど様々な原料を元に蒸留させた度数の高いエタノールを水と混ぜ希釈し、甘味料などで人工的に味をつけた希釈式ソジュが造られるようになった。伝統的製法に対する規制は既に撤廃されているが、安いソジュはなおこうした製法で造られている。韓国政府は希釈式ソジュのアルコール度数を35%以下と定めている。一方で、地方のソジュ業者には伝統的な蒸留法でのソジュ製造に立ち返るところもある。慶尚北道安東市で造られているものはその代表で、アルコール度数は45%に達する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ソジュ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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