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ソ連邦元帥(ソれんぽうげんすい、ロシア語:〔マールシャル・サヴィェーツカガ・サユーザ〕、ラテン文字転写例:Marshal Sovietskogo Soyuza)は、ソビエト連邦(ソ連)における軍人の階級の最高位である。定義上はこの階級のさらに上位にある、大元帥があるが、これはヨシフ・スターリンが自らのために創設し、彼ひとりが保持した階級である。ソ連邦元帥は1935年に創設され、1991年に廃止された。この間に、41人がこの階級に昇った。ソ連海軍におけるこれと同等の階級はソ連邦海軍元帥である。''〔マールシャル・サヴィェーツカガ・サユーザ〕、ラテン文字転写例:Marshal Sovietskogo Soyuza)は、ソビエト連邦(ソ連)における軍人の階級の最高位である。定義上はこの階級のさらに上位にある、大元帥があるが、これはヨシフ・スターリンが自らのために創設し、彼ひとりが保持した階級である。ソ連邦元帥は1935年に創設され、1991年に廃止された。この間に、41人がこの階級に昇った。ソ連海軍におけるこれと同等の階級はソ連邦海軍元帥である。 == 歴史 == ソ連邦元帥の階級は、1935年9月22日、ソ連の内閣に相当する人民委員会議が下した決定により創設された。11月20日、この階級が5人に与えられた。国防人民委員であり古参のボルシェビキであるクリメント・ヴォロシーロフ、赤軍参謀総長アレクサンドル・エゴロフ、そして3人の古参の将官、ヴァシーリー・ブリュヘル、セミョーン・ブジョーンヌイ、ミハイル・トゥハチェフスキーである。 これら5人のうち、ブリュヘル、トゥハチェフスキー、エゴロフの3人はスターリンの大粛清(1937~38年)の間に逮捕・処刑された。1940年5月7日には新たに3名が任命された。ボリス・シャポシニコフ、グリゴリー・クリーク、そして国防人民委員のセミョーン・チモシェンコである。 1935年、在来の士官階級が改正されたにもかかわらず、赤軍における将官の階級は1940年までは導入されなかった。1935年の新たな階級制度では、将軍クラスの陸軍指揮官は旅団長、師団長、軍団長、二等軍司令官、一等軍司令官の下位から5階級存在した。ソ連邦元帥は一等軍司令官のさらに上位の階級として位置づけられたが、一等軍司令官ですら、他軍種において相当したのは海軍の一等艦隊旗艦指揮官及び政治委員の一等軍政治委員のみであった。つまり、ソ連邦元帥の階級はとりわけ栄誉あるものとして別に扱われていたということである。(英語版ロシア軍の階級の歴史及びソビエト連邦軍の階級も参照の事。) 第2次大戦中にチモシェンコとブジョーンヌイは解任され、クリークは無能の廉で降等され、かわって功績を挙げた幾人かの軍人にソ連邦元帥の階級が与えられた。そうした人々のなかには、ゲオルギー・ジューコフ、イワン・コーネフ、コンスタンチン・ロコソフスキーがいる。1943年には、スターリンは自らをソ連邦元帥に叙し、さらに1945年には彼の秘密警察長官ラヴレンチー・ベリヤをも任命した。この種の「政治的」元帥には、1947年、ニコライ・ブルガーニンが加わった。 第2次大戦後、1950年にクリークが処刑され、更にスターリンの死とそれに続く粛清で1953年にはベリヤが処刑された。それ以後、ソ連邦元帥の階級は、レオニード・ブレジネフ(1976年任命)という例外を除いては、職業軍人にのみ与えられた。ソ連邦元帥の階級を保持した最後の軍人は、1990年に任命されたドミトリー・ヤゾフである。ヤゾフは、1991年、当時のミハイル・ゴルバチョフ政権に対するクーデターに加わったことで収監されている。同じくソ連邦最末期のソ連邦元帥であったセルゲイ・アフロメーエフは、1991年のソ連崩壊に際して自殺した。 1991年12月、ソビエト連邦崩壊に伴ってソ連邦元帥の階級は廃止された。この階級は現在ではロシア連邦元帥に継承されている。この階級を保持する唯一の軍人は、1997年から2001年まで国防相を務め、その後、ヴラジーミル・プーチン大統領の安全保障補佐官に就任した、イーゴリ・セルゲーエフだけである。 ソ連邦元帥は以下の3つの世代群に分けることが出来る。 * ロシア内戦期に名声を得た人々。これらの人々には1937年から38年にかけて粛清された人々(ブリュヘル、トゥハチェフスキー、エゴロフ)や、第2次大戦初期に高位の指揮権を預かっていた人々(ブジョーンヌイ、クリーク、シャポシニコフ、チモシェンコ、ヴォロシーロフ)がいる。後者の人々は、チモシェンコとシャポシニコフを除いて、無能の廉でその地位から追われている(後に名誉回復された)。 * 第2次大戦中に名声を得て、戦争後期に高位の指揮権を託された人々。ジューコフ、ヴァシレフスキー、コーネフ、マリノフスキー、トルブーヒン、チュイコフといった人々が該当する。 * 冷戦期に高位の指揮官であった人々。これらの人々は第2次大戦中に将校であったが、彼らが高位の指揮権を得たのはワルシャワ条約機構軍またはソ連国防省においてである。この世代には、グレチコ、ヤクボフスキー、ウスチノフ、クリコフ、オガルコフ、アフロメーエフ、ヤゾフといった人々が含まれる。 第2次大戦後のソ連邦元帥は、政治将校(人民委員)であったブレジネフを除けば、みな第2次大戦中の将校であった。戦争終結時に小隊指揮官であったヤゾフなどは、1945年にようやく20歳になっている。しかしながら、冷戦期のアメリカ軍の高級指揮官たちと異なり、歴代のソ連邦元帥たちは1945年以降に大きな実戦を指揮した経験がない。(そもそもソビエト連邦軍自体が第二次大戦後の本格的な実戦は1979年末からのアフガニスタン侵攻ぐらいであるのに対し、アメリカ軍は1950年~53年の朝鮮戦争に参加すると共に1965年~72年までベトナム戦争にも介入している)ソ連の軍事指導者に第2次大戦の経験者達がいつまでも残り続けたことは、後年のソビエトにおける軍事的能力の衰弱の要因の一つであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ソ連邦元帥」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Marshal of the Soviet Union 」があります。 スポンサード リンク
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