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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
タマム・シュッド事件(''the Tamam Shud Case'') 、または「タマン・シュッド事件」(''the Taman Shud Case'')は、1948年12月1日午前6時30分頃、オーストラリア南オーストラリア州のアデレードの南、のソマートン公園(Somerton Park)の海岸で、身元不明の男性の遺体が発見された事件。〔 11世紀ペルシアの詩集『ルバイヤート』の最後の語句 "Tamám Shud" () に因むが、2通りの呼称があるのは、最初に事件を報じた新聞が誤って "Taman Shud" と伝え、それがその他の報道にも引き継がれたためと推測される。ペルシア語の ''tamám'' は「終わり」を意味する名詞、 ''shud'' は過去時制を表す接辞であり、全体で「終わった」、「済んだ」という意味になる。〕事件は、遺体のズボンの隠しポケットから見つかった紙片に、ペルシア語で「終わった」、「済んだ」という意味を表す「タマム・シュッド」("Tamám Shud")という語句が記されていたことに因み名づけられた。この紙片は、11世紀ペルシアの詩集『ルバイヤート』のある版本から、最後の頁の語句が破り取られたものであることが判明している。遺体発見当初、グレネルグ在住の男性が、自分の車の後部座席にその本が置かれているのを発見し、警察の呼びかけに応じてその本を供出した。本には他に、電話番号のような数字も記されていた。遺体で発見された男性は「ソマートン・マン」(the Somerton Man)の通称で呼ばれ、現在も身元が判明していない。 発生当時から「オーストラリアの最も深い謎の1つ」とされ、〔''The Advertiser'', "Tamam Shud" , 10 June 1949, p. 2〕推理の対象となってきた。 冷戦期の緊張が高まっていた時代に発生した事件であり、暗号めいた遺留品、特定できない毒物、正体不明の犠牲者、そして報われない恋愛劇の可能性等の様々な要因により、依然事件に対する世間の関心は高い。 オーストラリア国内でも大々的に捜査が行われ、海外でも報道された。警察が遺体の身元特定の手掛かりを得るために資料を広く国外にも公開したうえ、外国政府機関にも協力を呼び掛けたためである。〔See, for example; Guðmundsson, H.H. "Þekkir þú þennan mann?" ''Skakki turninn'', 12 October 2009, pp. 19–27.〕 ==犠牲者== 1948年12月1日午前6時30頃、南オーストラリア州アデレードの約11km南、のソマートン公園の海岸で男性の遺体が発見された。遺体は付近の障害児施設から続く砂浜の上に横たわっており、〔警察が検分したところでは、遺体の状態はあおむけで、頭は防波堤に向いており、両脚は伸ばされていたが足先は組まれた状態だった。死亡したのは眠っている間であると考えられた。〔 新しいタバコが1本耳の裏に挟まっており、上着の襟の右側に、頬で挟むような形で半分吸いかけのタバコがあった。〔 ポケットを探ったところ、同じアデレード郊外の行き列車の未使用の二等乗車券と、アデレードからの使用済みのバス乗車券、アルミ製の薄型の櫛、半分程中身が残っている社製のチューインガムの包み、半分程ブランドのタバコの入ったの箱(どちらもイギリスのタバコブランド)、4分の1程中身が残っている社製のマッチ箱が見つかった。〔 目撃者によると11月30日の夕方、遺体とよく似た男性が、遺体発見時と同じ場所に、同じ姿勢で横たわっているのを見かけたという。〔同日の午後7時頃にその男性を見たというカップルは、男性が右腕を上に伸ばしきってから、だらんと下ろすのを見たという。また、街灯が点灯し始めた午後7時30分から8時頃の間にその男性を見たという別のカップルは、男性が視界にあったその30分程の間、彼が動くところは見なかったが、姿勢は変わったような印象を受けたという。またそのカップルは、男性が蚊に反応しないのを見て、死んでいるのではないかとも話し合ったが、やはり酔っ払いか、寝ているものと思い、それ以上詮索しなかった。〔Clemo, M. "'Poisoned' in SA – was he a Red Spy? ", ''Sunday Mail'' (Adelaide), 7 November 2004, p 76.〕〔Coroner's Inquest, Cleland, 1949, page 9〕目撃者達は、男性がいた場所は、警察が検分した遺体発見場所と同じであるとも述べている。〔Coroner's Inquest, Cleland, 1949 page 2〕 アデレード大学の病理学者、ジョン・バートン・クレランド助教授(Sir John Burton Cleland)の調査によれば、男性は「イギリス人的な」容貌であり、およそ40~45歳と思われ、「肉体的には最高の健康状態」であったという。〔Coroner's Inquest, Cleland, 1949, pp. 12-13〕「身長は180 cm、瞳は榛色、頭髪は赤毛に近い金髪で、〔こめかみの周りに少し白髪が混じっている。〔肩幅は広くて腹周りは細く、両手と爪に手作業に従事していた兆候は見られない。つま先の親指と小指は、ダンサーや普段先の尖ったブーツを履いている者のように楔形になっており、ふくらはぎ上部の筋肉はバレエダンサーのように発達している。これらの特徴は優性遺伝によるものかもしれないが、多くの中長距離走者に見られる特徴でもある。」〔遺体の石膏取りを行った技士は陪審で、男性はかかとが高く、先の尖った特異な種類の靴を日常的に履いていたのではないか、と証言した。ふくらはぎやつま先が、女性に多く見られるような靴の形状による変形という特徴を持っていたからである。警察はそれよりも前に、この身体的特徴から(オーストラリアのカウボーイ)のブーツとの関連を考え、クイーンズランド州内のストックマンも捜査対象にしていた。the Cleland, 1949 Inquest p. 7 から。〕男性が着用していた衣類は、白いシャツ、赤と青のネクタイ、茶色のズボン、靴下、靴、手編みのセーター、そしてしゃれた灰色と茶色のダブルの上着であった。〔Jory, R. (2000) "The dead man who sparked many tales ", ''The Advertiser'', 1 December 2000.〕 衣類からタグ類は全て外されており、〔帽子や財布は身に着けていなかった(1948年当時、外で帽子を着用していない人は珍しかった)。〔髭はきれいに剃られており、〔''The News'', "Dead Man Found Lying on Somerton Beach ", 1 December 1948, p. 1〕身分証の類を携帯していなかったことから、警察は自殺と考えた。〔''The News'', "Five 'positive views' conflict ", 7 January 1949, p. 3〕歯科記録にある歯型も、男性のものと一致する記録は一切見つからなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タマム・シュッド事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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