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ソワソン管区(ソワソンかんく、)は、古代末期にガリア北部にあった地域である。一般に西ローマ帝国が滅亡したとされる476年以後もローマ人による支配を維持し、486年の滅亡までローマの文化、行政体制、カトリック信仰を保持した。 ==歴史== 西ローマ帝国の再建に意欲を示した最後の皇帝と評されるマヨリアヌス帝(在位: 457年 - 461年)は、ガリア地方の軍司令官(マギステル・ミリトゥム)としてを任命した。ガリア北部に残された西ローマ帝国の領域は、ラングドック・オーヴェルニュを含む細い支配領域によって辛うじてイタリア本土と結ばれていたが、マヨリアヌスの治世の間にこの回廊地帯はゲルマン人によって占拠され、ガリア北部は本国と切断された飛び地となった。アエギディウスはスエッシオ(ソワソン)に拠点を置き、帝国が混乱し蛮族に領土を奪われていく中で、ガリアにおけるローマ人の支配を維持した。 461年、マヨリアヌス帝は帝国の実力者である将軍リキメルに殺害される。アエギディウスはリキメルと敵対しながら、管轄下の地域の統治を維持した。実質的に独立したこの地域は、ソワソン管区と呼ばれるようになった。アエギディウスはフランク人と戦う一方、ブルトン人とはおおむね良好な関係を築いていたようである。 464年、アエギディウスはロワールで死んだ。毒殺もしくは殺害であったともされる。息子のシアグリウスが後を継ぎ、ドゥクスの称号を称したが、周辺のゲルマン人は「ローマ人の王」と見なした。474年、ユリウス・ネポスが即位すると、これを正当なる西帝として認知した。475年にネポス帝はフラウィウス・オレステスの反乱によってダルマチアへの亡命を余儀なくされ、フラウィウス・オレステスが息子のロムルス・アウグストゥルスを皇帝に擁立するが、アウグストゥルス帝は476年にオドアケルによって廃される(これが一般に西ローマ帝国の滅亡とされる)。ネポス帝はダルマチアで依然西ローマ皇帝を称し、480年に暗殺されるのだが、シアグリウスは一貫してネポス帝支持の立場を変えなかった。 486年、メロヴィング朝フランク王国のクローヴィスはソワソンを奇襲攻撃した(ソワソンの戦い)。ソワソンは陥落し、ここにソワソン管区は滅びた。シアグリウスは、トゥールーズにあった西ゴート王アラリック2世の宮廷に逃れて庇護を求めたが、捕らえられてクローヴィスのもとへ引き渡された。そして487年に密かに刺殺された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ソワソン管区」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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