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宋 志晩(ソン・ジマン、 1973年3月2日 - )は、韓国プロ野球、ネクセンヒーローズに所属する大韓民国出身の元プロ野球選手(外野手)。現役時代は長打力と俊足を兼ね備えた韓国屈指の外野手だった。 == 略歴 == 1996年ハンファ・イーグルス入団。デビューの頃は、長打力と俊足を兼ね備え、主に6番打順でクリーン・アップトリオのバックアップ役を務めて1999年チームの初優勝に貢献。この頃、「黄金の鷲」というニックネームがつけられた。元ヒューストン・アストロズのジェフ・バグウェルに似たガニ股打法が特徴である。 2000年シドニー・オリンピック韓国代表に選ばれたが、開幕3日前の練習試合で足首を骨折、出場選手エントリーから外され、本選には出場できなかった。この故障の影響で2001年からは盗塁が一桁に減ったが、中心打線としてチームの打線を導く。 2002年、38本塁打、104打点でキャリア最高のシーズンを送った後、翌年の2003年は故障で出場が減少。それが原因か、2003年シーズンオフ、現代ユニコーンズにトレードされる。現代に移籍してからは、長打は減ったものの、主に1番に配置されて核弾頭としての役割を果たしている。 2006 ワールド・ベースボール・クラシックの韓国代表に選ばれた。 フリーエージェント宣言のあと、年俸6億ウォンの4年契約を結んで現代ユニコーンズに残留。しかし、現代ユニコーンズが解散されたことで、現代側と結んだ契約が無効になった。その後、保有権がウリ・ヒーローズに譲渡され、ヒーローズ側との年俸交渉に臨んだが、現代時代にもらった年俸の3分の1くらいしかならない2億2000万ウォンの提示を受けて猛反発した。しかし、契約を拒否しても、任意引退の他に打つ手もなかったため、やむなくそのまま契約を結んで2008年からヒーローズ所属でプレイしている。2010年には通算300本塁打も達成し、ネクセンのチーム最多本塁打(17本)も記録し、その年の年俸は4億ウォン(2010年)に上がった。2012年、故障により出場機会が激減し、2013年の年俸は8000万ウォンまでに下がったが控えとして貴重な働きを見せ、2014年は年俸1億ウォンに上がった。だが2014年は一軍出場がなく同年限りでの引退を発表し、2015年からはネクセンの2軍打撃コーチになった。2015年10月1日、木洞野球場で引退セレモニーが開かれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宋志晩」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Song Ji-man 」があります。 スポンサード リンク
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