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ソースティン・ブンデ・ヴェブレン : ミニ英和和英辞書
ソースティン・ブンデ・ヴェブレン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ソースティン・ブンデ・ヴェブレン ( リダイレクト:ソースティン・ヴェブレン ) : ウィキペディア日本語版
ソースティン・ヴェブレン[ちょうおん]

ソースティン・ヴェブレンThorstein Bunde Veblen1857年7月30日 - 1929年8月3日)は、19世紀・20世紀初頭期のアメリカ経済学者社会学者である。
== 来歴 ==

*1857年 ノルウェー移民である両親の12人の子どもの第6子として、ウィスコンシン州カトーに生まれる。
*1865年 8歳のときミネソタ州ナースランドのノルウェー移民の開拓地に移住する。
*1874年 将来は牧師にしたいという父親の希望で、ミネソタ州のカールトン・カレッジ・アカデミー(現在のカールトン・カレッジ)に入学する(その時の経済学の教師はジョン・ベイツ・クラークであった)。
*1880年 カールトン・カレッジ・アカデミー(現在のカールトン・カレッジ)を卒業する。
*1880年~1881年 卒業後1年間、ルーテル派(ルター派)の学校(アカデミー)で数学を教える。
*1881年~1882年 ジョンズホプキンス大学で論理学者・数学者・記号論のチャールズ・サンダース・パースのもと大学院の勉強をする。
*1882年 イェール大学へ移る(ウィリアム・サムナーからは、スペンサー流の社会的ダーウィニズム思想を教えられる)。
*1884年 イェール大学よりPh.D.を得る(ノーア・ポーターの指導を受ける。博士論文「因果応報説の倫理学的基礎」)。
*1884年~1891年 就職がうまくいかず、父親の農場のあったアイオワ州ステイシーヴィルに移り生活する。
*1891年 イサカコーネル大学のリーダー(講師)となる(ローレンス・ラフリンの斡旋により採用される)。
*1892年 新しくできたシカゴ大学のティーチングフェローとなる(ローレンス・ラフリンが、新しくできたシカゴ大学の経済学部長に就任し誘う)。
*1899年 The Theory of the Leisure Class(『有閑階級の理論』)を出版する。
*1900年 シカゴ大学で助教授となる.
*1904年 The Theory of Business Enterprise(『企業の理論』)を出版する。
*1906年 シカゴ大学を辞める。
*1906年~1909年 スタンフォード大学の准教授となる。
*1910年~1917年 ミズーリ大学経済学部へと移る。
*1914年 第1次世界大戦が始まった年、ノルウェーを訪れる(1915年『ドイツ帝国と産業革命』を出版する)。
*1918年 ニューヨークで雑誌『ダイヤル』の編集者となる。
*1919年~1926年 ニュースクール(のちニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ;新社会科学学院)の講師となる。
*1927年~1929年 カリフォルニア州のパロアルト(Palo Alto)の山荘に引きこもる。
*1929年8月3日 “大恐慌”の直前に没す(72歳)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Thorstein Veblen 」があります。




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