|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ソーヴール・アントワーヌ・カンドウ(Sauveur Antoine Candau、1897年5月29日 - 1955年9月28日)は、パリ外国宣教会所属のカトリック司祭。フランス・サン=ジャン=ピエ=ド=ポル出身。筆名は貫道(かんどう)または苅田 澄(かりた すみ)〔三浦(1999)、pp.342-345〕。著書、新聞連載、講演、ラジオ講話などを通じて、カトリック教会の内外に声を届けた〔山梨(2012)、p.103〕。宣教師の枠を越えた文化的活動を行い、近現代に日本に在住したカトリック神父の中では、一般の日本人にもっともよく知られた存在だった〔。バスク人としてのアイデンティティを保ち、日本を第二の祖国として愛した〔山梨(2012)、p.105〕。 ==生涯== === 幼少時 === カンドウ家のあるアキテーヌ地域圏ピレネー=アトランティック県サン=ジャン=ピエ=ド=ポル(サン=ジャン)は、フランス領バスクのバス=ナヴァールの中心都市である。祖父のフィリップ・カンドウは教師だった。叔母のマドレーヌ・カンドウがサン=ジャンに商店を開くと、マドレーヌの兄のフェリックス・カンドウが店を引き継ぎ、フェリックスは商店を布地店に変更した。1857年、ソーヴール・カンドウはサン=ジャンで父フェリックスと母テレーズの間に生まれた。その名(Sauveur)はフランス語で「救い主」という意味である〔。11人兄弟姉妹の7番目であり、斜向かいにある教会から鐘の音が聞こえる、敬虔なカトリックの家庭〔で育った。6歳の頃から木製の十字架を胸にぶら下げ、9歳の時には兄とふたりでルルドの泉に巡礼した〔。伯父の家には富士山の絵が掲げられており、幼少時代に日本に対する興味が生まれたとされる〔カンドウ(1955), pp.248-249〕。作家の司馬遼太郎は『街道をゆく』シリーズの取材でサン=ジャンを訪れており、カンドウの生家がフランシスコ・ザビエルの父方の先祖の家に隣接していることを記している〔司馬遼太郎『ワイド版 街道をゆく 22 南蛮のみちⅠ』朝日新聞社, 2006年, p.217〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ソーヴール・カンドウ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|