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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
タイガー・ジェット・シン(Tiger Jeet Singh、本名:Jagjit Singh Hans、1948年4月3日 - )は、インド・パンジャーブ州ルディヤーナー出身のプロレスラー、実業家。スペリングの通り、より原音に近いリングネームの表記はタイガー・ジート・シン。シク教徒。 ニックネームは「インドの猛虎(狂虎)」「狂える虎」。息子のタイガー・アリ・シンもプロレスラーであり、WWEのリングでも活動した。 フェンシングのサーベルを振りかざす姿で一世を風靡した悪役レスラー。しかし、ここぞという場面では正統派レスリングを見せ、アントニオ猪木らトップクラスのレスラーにも勝利している。言動には独自の哲学を徹底して貫いており、多くの関係者から一目置かれる存在となっている。 日本国外や地元トロントではベビーフェイスとして活躍を続ける一方、プロレス以外の様々な事業を経営している。プロレス業界のみならず、財界、政界とも繋がりがあり、北米インド人社会では最も著名な人物の一人である。 == 来歴 == === 来日前(〜1973年) === 1964年にシンガポールでデビューし、その後カナダに渡ったという説があるが定かではない。 ジャイアント馬場のアメリカ修行時代の師匠で知られたフレッド・アトキンスに正統派レスリングを徹底的に叩き込まれ、1965年にトロントでデビュー(ここからのプロフィールははっきりしている)。翌1966年には師匠のアトキンスとのタッグで同地区のインターナショナルタッグ王座を奪取する。 日本では全く無名の存在であったが、1967年6月にジョニー・バレンタインを破ってトロント地区のUSヘビー級王座を獲得すると、当時のトロント地区で完全にメインイベンターの地位を確立。同年にはNWA世界王者ジン・キニスキーに1度、WWWF(現WWE)世界王者ブルーノ・サンマルチノに2度挑戦している。1968年の暮れにベビーフェイスに転向するとさらに人気は増し、1971年2月に行われたザ・シークとの一騎打ちでは18000人を超える観衆を集め、当時の年収は約8万ドル(当時の為替レートで約2500万円ほど)にも達していたという〔東京スポーツ・2009年3月29日付 「小佐野景浩のプロレススーパースター実伝」第47回〕。初来日直前はオーストラリアを主戦場とし、スティーブ・リッカードらとツアーを同行する。この出会いがきっかけで、後にシンは日本で大成功を収める(後述する)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タイガー・ジェット・シン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tiger Jeet Singh 」があります。 スポンサード リンク
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