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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
タイキフォーチュンとは日本の競走馬。1996年に新設されたNHKマイルカップの初代王者である。半弟にニュージーランドトロフィー勝ち馬タイキリオン(父ワイルドアゲイン)、半妹にクリスタルカップ勝ち馬のタイキダイヤ(父オジジアン)がいる。大樹レーシングクラブの出資馬であり、募集価格は3800万円(100口)。 ※馬齢は旧表記で統一する。 == 戦績 == 1995年11月のダート1400メートルでデビューし、見せ場もなく8着と惨敗する。連闘で芝1800メートルの新馬戦に出走し逃げ切り勝ち、次の500万条件をレコード勝ちする。次にラジオたんぱ杯3歳ステークスでこれまで主戦騎手を務めていた柴田善臣から坂本勝美に乗り替わって重賞に初挑戦するが11着と大敗してしまう。 明け4歳となった1996年は緒戦の弥生賞で再度柴田を鞍上に戻して出走したものの、太め残りの状態で7着と惨敗するが、毎日杯を快勝し、新設されたNHKマイルカップへと駒を進める。ここでは単勝4番人気に支持された。タイキフォーチュンは、逃げたバンブーピノが作り出した前半1000メートル通過56秒7というハイペースの展開から直線鋭く伸び勝利、NHKマイルカップ初代王者に輝いた。このレースで記録された1分32秒6というタイム(当時の東京1600メートル日本レコードはオグリキャップが記録した1分32秒4)は翌月行われた安田記念(NHKマイルカップと同距離、同コース)で古馬であるトロットサンダーが出した1分33秒1よりも速いタイムであり、2004年にキングカメハメハが破るまでレースレコードだった。また当時明け4歳のサラブレッドによるマイルの走破時計はシスタートウショウが1991年の桜花賞で記録した1分33秒8でが最高で、他に1分34秒を切ったのも1994年京成杯のビコーペガサスだけであり、当時は驚異的なタイムであった。 これ以降は惨敗を繰り返し、1勝もできないまま1997年11月のジャパンカップ14着を最後に引退、種牡馬入りした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タイキフォーチュン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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