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タイファ : ウィキペディア日本語版
タイファ

タイファスペイン語ポルトガル語 Taifa)は、かつてイベリア半島に存在したイスラム教諸王国およびその君主を指す語。アラビア語で「分立している集団」「部族集団」などを意味するターイファ طائفة tā'ifa (複数形はタワーイフ طوائف tawā'if )に由来する名称で、「分立する諸王(朝)」ほどの意味である「ムルーク・アッタワーイフ」 ملوك الطوائفmulūk al-tawā'if と呼ばれる。「ターイファ諸国」、「群小王朝」などとも訳される。1031年後ウマイヤ朝が滅亡したあとに誕生した。
== 概要==

イベリア半島の歴史におけるタイファという語は、独立したムスリム支配の君主国、 首長国あるいは 小王国を指す。1031年コルドバを首都とした後ウマイヤ朝が最終的に崩壊したあとに、イベリア半島(アンダルス)各地に建国された(第一次タイファ時代)。
タイファの起源が後ウマイヤ朝の行政上の区分にあることはほぼ間違いない。また、後ウマイヤ朝のエリートの民族区分にも起源を持つ。アラブ人(力はあったが少数派であった)、ベルベル人、イベリア半島のイスラム教徒(ムラディとして知られる)、そしてサカーリバ(ヨーロッパ人奴隷)である。
タイファ諸国は11世紀末から12世紀はじめにムラービト朝によって征服されたが、12世紀なかばにムラービト朝が衰えると再びタイファ諸国が分立した(第二次タイファ時代)。
11世紀および12世紀半ばのタイファ諸国の全盛期には、タイファのアミールたちは互いに競い合った。軍事面だけでなく、名声も競争の対象であり、有名な詩人や芸術家を迎え入れようとした。
半島北部のキリスト教諸王国はしばしば後ウマイヤ朝カリフに貢物を贈っていたが、後ウマイヤ朝が滅亡すると立場が逆転した。分裂したタイファ諸国はキリスト教諸国よりも劣勢となり、カスティーリャ・レオン王国アラゴン王国などにパリアと呼ばれる貢物を納めて臣従した。
 
軍事力の弱体化によって、タイファの君主はキリスト教諸国と戦うために二度にわたって北アフリカ(マグリブ)の軍勢に頼った。1085年トレドの陥落後にはムラービト朝の軍勢に頼り、 1147年リスボンの陥落の際にはムワッヒド朝に頼っている。しかし、これらのマグリブのイスラム新勢力は、タイファ諸国を助けるよりも、彼らの版図にタイファ諸国を組み入れて支配した。
ムワッヒド朝の衰退により再びタイファ諸国が乱立した(第三次タイファ時代)が、すでにキリスト教諸国によるレコンキスタは勢いを増しており、1251年にはグラナダナスル朝を除く全タイファ諸国が征服された。ナスル朝はカスティーリャ王国に臣従して延命したが、1479年に統一された新生スペイン王国によって、1492年に征服された。
タイファ諸国は、隣国と戦うためにしばしばキリスト教徒の傭兵を雇った。エル・シッドが有名な例として挙げられる。 
大きなタイファは次のとおり。
* セビーリャ王国:ムラービト朝の侵略を受けるまでは、最も栄えたタイファ国で周辺諸国を征服していった。
* サラゴサ王国:この国もまた大変強盛であったがピレネー山脈のキリスト教国と隣接していた。 
* グラナダ王国
* トレド王国1085年カスティーリャ王国に征服された。 
* バダホス王国
* デニア
サラゴサ、トレド、バダホスは、もともと後ウマイヤ朝の国境警備軍の管轄区であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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