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タイロン・スポーン(Tyrone Spong、男性、1985年9月3日 - )は、オランダのキックボクサー。スリナム共和国・パラマリボ出身。ブラックレーベルファイトクラブF.F.C.所属。前IT'S SHOWTIME 95kg MAX 世界王者。 「King of The Ring(リングの王)」の異名を持ち、かつてキックボクシングのスーパーミドル級では最強と称され、ライトヘビー級、クルーザー級、ヘビー級でも世界トップクラスの実力を誇る。16歳でプロデビューして以来、驚異的な戦績と勝率を誇り、勝った試合のKO率は約70%前後と高い。ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、レミー・ボンヤスキーら歴代K-1 WORLD GP王者達から才能と実力を認められている実力者であり、ヨーロッパでは高い人気を誇る。また、ミルコ・クロコップとの決戦を控えたエメリヤーエンコ・ヒョードルの練習パートナーを務めたことがある。2008年以降はK-1ヘビー級やIT'S SHOWTIMEを主戦場としている。憧れの選手としてホーストを挙げており、そのホーストの誘いで2009年5月頃から指導を受けている。下の階級からヘビー級まで上げてきたことやテクニシャンタイプ、スリナム系であるなど共通点も多いため、自他共に認める「ホースト2世」である。ただし、ホーストは「彼はホースト2世ではなくスポーン1世だ。彼は彼だし、私はそういうのは好まない」と語っている。 == 来歴 == 2002年5月19日、Itai-Te Promotionsにてミドル級で16歳でプロデビューするが、アミール・ゼヤダに4RKO負け。 同年10月27日、Beast of the Eastにて、レイ・スターリンに勝利。 2004年2月22日、2 Hot 2 Handleにて、ウィリアム・ディンダーに勝利。 2005年4月9日、モハメド・オワリに右膝蹴りで5RKO勝ち、WPKLムエタイ・ヨーロッパ王座(72.5kg以下)を獲得。以降はスーパーミドル級に転級。 同年12月3日、A-1 Combat Leagueトーナメントにて、3試合全てKO勝ちで優勝。この頃から徐々に強豪として名前が知れ渡るようになる。 2006年4月29日、MARSに参戦し、チョ・インジュに1RKO勝ち。 同年10月1日、SLAMM!! Eventsにて、ガオグライ・ゲーンノラシンに右フック一撃で1RKO勝ち。 同年11月12日、2H2H - Pride & Honorにてユーリ・メスを終始圧倒し、3度のダウンを奪って5RKO勝ち。 2007年3月25日、Rings Galaにて、プロデビュー戦で敗れたアミール・ゼヤダと再戦。第1Rから猛攻をしかけて圧倒していたが、3R開始早々に不用意にガードを下げたところにカウンターパンチを浴びてダウンを喫した。さらにもう一度ダウンを奪われ、最後はレフェリーストップによって逆転KO負け。 同年5月6日、ヨードチャイ・ウォー・ペッチプンにKO勝ち、SLAMM!! Events 79kg級世界王座を獲得。 2008年2月9日、ニュージーランドで開催されたKO World Seriesのクルーザー級トーナメントに出場し、2連続KO勝ちで優勝を果たした。 同年3月15日、IT'S SHOWTIMEにてオンドレ・ハートニックに2RKO勝ち、WFCA世界クルーザー級王座(86.8kg以下)を獲得。 2008年4月26日、K-1初出場となったK-1 WORLD GP 2008 IN AMSTERDAMのスーパーファイトでアゼム・マクスタイと対戦し、2RTKO勝ち。 同年10月5日、Tough is Not Enoughにて95kg契約でゲーリー・ターナーと対戦、1RドクターストップTKO勝利。 同年11月29日、IT'S SHOWTIMEにてザビット・サメドフと対戦。サメドフを終始圧倒して勝利、初代IT'S SHOWTIME 95kg MAX 世界王座を獲得。 2009年1月24日、Beast of the Eastにてサミール・ベナゾーズに3Rタオル投入TKO勝ち。 2009年3月28日、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAの第2代K-1世界ヘビー級王者決定トーナメントに出場。世界中の格闘技ファン、また関係者に優勝候補筆頭と言われ魔裟斗も大注目していたが、1回戦グーカン・サキとの対戦で、延長ラウンドにカウンターの右フックでKO負けを喫した。 2009年5月16日、IT'S SHOWTIMEでアティラ・カラチと対戦し判定勝ち。 2009年6月26日、ジャマイカで開催された「Champions of Champions 2」のメインイベントでネイサン・コーベットとK-1ルールで対戦。ファンや専門家からライトヘビー級とクルーザー級の頂上決戦と称されたこの試合で、2Rに先制のダウンを奪うが、3ラウンドに右フックでダウンを奪われ、ふらついたまま立ち上がるもレフェリーがスポーンのKO負けを宣告したところでレフェリーストップに気付かなかったコーベットがパンチで追撃したため、無効試合となった。 2009年12月5日、K-1 WORLD GP 2009 FINALのスーパーファイトでK-1世界ヘビー級王者の京太郎と対戦し、判定勝ち。試合後、ヘビー級タイトルマッチへの挑戦を要求した。 2010年4月3日、K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMAでジェロム・レ・バンナと対戦。1Rにダウンを喫し、3Rには盛り返すも判定負け。 2010年10月2日、K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16に推薦枠として出場。当初ルスラン・カラエフと対戦予定だったが、カラエフが欠場となったため〔3D生中継で目撃せよ!! WGP FINAL16は明日開催!! K-1公式サイト 2010年10月1日〕、代役のレイ・セフォーと対戦。終止ペースを握り3-0の判定勝ちを収め、ベスト8に駒を進めた〔K-1 WORLD GP 2010 FINAL16 第3試合 スポーツナビ 2010年10月2日〕。 2010年12月12日、K-1 WORLD GP 2010 FINALの準々決勝でアリスター・オーフレイムと対戦し、1Rにはカウンターの左フックをヒット、ラッシュを見せポイントをリードしたが3Rにスタンディングダウンを奪われ逆転の判定負けを喫した〔【K-1】アリスター・オーフレイムがGP優勝!決勝でピーター・アーツを下す(2) 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月11日〕。 2011年1月、IT'S SHOWTIME 95kg MAX 世界王者のタイトルを返上。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タイロン・スポーン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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