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タイ王国 : ミニ英和和英辞書
タイ王国[たいおうこく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
王国 : [おうこく]
 【名詞】 1. kingdom 2. monarchy 
: [くに]
 【名詞】 1. country 

タイ王国 : ウィキペディア日本語版
タイ王国[たいおうこく]

タイ王国(タイおうこく、 ''Ratcha Anachak Thai'' )、通称タイ( ''Prathet Thai'' ))は、東南アジアに位置する立憲君主制国家東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国、通貨はバーツ、人口6,718万人、首都はバンコク
国土は、インドシナ半島中央部とマレー半島北部を占める。南はマレーシア、東はカンボジア、北はラオス、西はミャンマーと国境を接する。マレー半島北部の西はアンダマン海、東はタイランド湾に面する。
2014年プラユット将軍率いる国軍軍事クーデターを起こし、憲法と議会を廃止し実権を掌握して以来、軍事独裁政権が継続している。
== 国名 ==

正式名称は、タイ語: ラート・チャ・アーナーチャック・タイ)で、は「」、は「領土」、は「タイ」を意味する。現地での通称は、(タイ語: ムアンタイ)。
公式の英語表記は、 、略して ( タイランドゥ) 。日本語表記は、タイ王国、通称はタイ。タイランドと称される事も多い。漢字で泰(タイ)と表記されることもある。
1939年までの正式国名は( サヤーム、 サイアム、日本語発音:シャム)。この と言う語は古くポーナガルのチャム語碑文(1050年)、バガンビルマ語碑文(1120年)、アンコールワットの刻文(12世紀頃)などに見える という語に原型を見ることができる。歴史学者・言語学者のチット・プーミサックはその著書『タイ族の歴史』〔 〕でこの語がビルマのシャン族のシャン、インドのアッサムアーホーム族のアーホームの語源になったとしている。西洋においては とはポルトガル語の , から来た語とされる〔石井・吉川(編) pp.151-152〕。また、1592年ジェームス・ランカスターが最初に ' と言う語を用いたとされる〔田中 p.99〕。この ' が正式な国号となるのは1855年、英タイ間でボーリング条約が締結された時であった〔。
日本においては『明史』巻三百二十四に見える、暹(せん)という国と羅斛(らこく)という国が合併し暹羅斛となった国名を省略して暹羅と記しているのを用いタイを呼ぶ国名とした。なお、暹という国はスコータイ、羅斛はラウォー(ロッブリー)とするのがポール・ペリオによる研究以来からの定説であったが〔石井 p.48〕、『大徳南海誌』の「諸蕃国」に見える一文「暹国管上水速孤底」と言う記述があることを理由に山本達郎は暹とはアユタヤではないかとする見解を発表し〔Yamamoto 〕、これが2002年に石井米雄によりタイの学会に紹介され新たな定説となった〔Vickery p.14〕。なお暹羅の読みであるが1712年刊行の『和漢三才図会』ではこの語にしゃむろ、シンロウという読みを与えている。しかし、明治期以降シャムの読みが定着した〔。
この他、タイを示す「シャム」、「暹羅」以外の系統の語として、ビルマ語のヨウダヤー ()があげられる。この語は元々、シャムを語源とするタイ北方のタイ族を呼ぶ言葉、「シャン」とは別に、チャオプラヤー川流域のタイ族、およびタイ南部のタイ族を指し示す言葉で、語源はタイに過去に存在した王朝の名前アヨータヤー(アユッタヤー)であると考えられている〔 p.14-15〕。ただし、この言葉はタイに対する蔑称とされる。
一方、20世紀前半までにシャム/ が国名として定着したが、1939年6月24日、時の首相ピブーンは国名をタイに変更する〔石井・吉川(編) p.436〕。これはシャムがチャオプラヤー川流域のタイ族を指す外国からの言葉であり、タイ族の自称である「タイ」に変更するのが適切であったと説明されるが、一方でチャオプラヤー川流域以外のタイ族をも取り込もうとしたピブーンの意図も読み取れる〔Wyatt pp.17-29〕。その後、セーニー内閣時の1945年9月17日いったん国名はシャムに戻されたが、返り咲いたピブーンにより1949年5月11日、国名がタイに戻された〔石井・吉川(編) p.437〕。時は下ってサリット政権時代に、議会で国名にタイがふさわしいかどうか議論がなされたが、結局は国名を維持することになった〔。しかし現在でも、タイという名前に反対する知識人が見られる〔たとえばチャーンウィット博士による "Siam not Thailand" の提言などがある。同提言の要約は 。全文は 〕。''(タイ語: ラート・チャ・アーナーチャック・タイ)で、は「」、は「領土」、は「タイ」を意味する。現地での通称は、(タイ語: ムアンタイ)。
公式の英語表記は、 、略して ( イランドゥ) 。日本語表記は、タイ王国、通称はタイタイランドと称される事も多い。漢字(タイ)と表記されることもある。
1939年までの正式国名は( サヤーム、 サイム、日本語発音:シャム)。この と言う語は古くポーナガルのチャム語碑文(1050年)、バガンビルマ語碑文(1120年)、アンコールワットの刻文(12世紀頃)などに見える という語に原型を見ることができる。歴史学者・言語学者のチット・プーミサックはその著書『タイ族の歴史』〔 〕でこの語がビルマのシャン族のシャン、インドのアッサムアーホーム族のアーホームの語源になったとしている。西洋においては とはポルトガル語の , から来た語とされる〔石井・吉川(編) pp.151-152〕。また、1592年ジェームス・ランカスターが最初に ' と言う語を用いたとされる〔田中 p.99〕。この ' が正式な国号となるのは1855年、英タイ間でボーリング条約が締結された時であった〔。
日本においては『明史』巻三百二十四に見える、暹(せん)という国と羅斛(らこく)という国が合併し暹羅斛となった国名を省略して暹羅と記しているのを用いタイを呼ぶ国名とした。なお、暹という国はスコータイ、羅斛はラウォー(ロッブリー)とするのがポール・ペリオによる研究以来からの定説であったが〔石井 p.48〕、『大徳南海誌』の「諸蕃国」に見える一文「暹国管上水速孤底」と言う記述があることを理由に山本達郎は暹とはアユタヤではないかとする見解を発表し〔Yamamoto 〕、これが2002年に石井米雄によりタイの学会に紹介され新たな定説となった〔Vickery p.14〕。なお暹羅の読みであるが1712年刊行の『和漢三才図会』ではこの語にしゃむろ、シンロウという読みを与えている。しかし、明治期以降シャムの読みが定着した〔。
この他、タイを示す「シャム」、「暹羅」以外の系統の語として、ビルマ語のヨウダヤー ()があげられる。この語は元々、シャムを語源とするタイ北方のタイ族を呼ぶ言葉、「シャン」とは別に、チャオプラヤー川流域のタイ族、およびタイ南部のタイ族を指し示す言葉で、語源はタイに過去に存在した王朝の名前アヨータヤー(アユッタヤー)であると考えられている〔 p.14-15〕。ただし、この言葉はタイに対する蔑称とされる。
一方、20世紀前半までにシャム/ が国名として定着したが、1939年6月24日、時の首相ピブーンは国名をタイに変更する〔石井・吉川(編) p.436〕。これはシャムがチャオプラヤー川流域のタイ族を指す外国からの言葉であり、タイ族の自称である「タイ」に変更するのが適切であったと説明されるが、一方でチャオプラヤー川流域以外のタイ族をも取り込もうとしたピブーンの意図も読み取れる〔Wyatt pp.17-29〕。その後、セーニー内閣時の1945年9月17日いったん国名はシャムに戻されたが、返り咲いたピブーンにより1949年5月11日、国名がタイに戻された〔石井・吉川(編) p.437〕。時は下ってサリット政権時代に、議会で国名にタイがふさわしいかどうか議論がなされたが、結局は国名を維持することになった〔。しかし現在でも、タイという名前に反対する知識人が見られる〔たとえばチャーンウィット博士による "Siam not Thailand" の提言などがある。同提言の要約は 。全文は 〕。 と言う語を用いたとされる〔田中 p.99〕。この ' が正式な国号となるのは1855年、英タイ間でボーリング条約が締結された時であった〔。
日本においては『明史』巻三百二十四に見える、暹(せん)という国と羅斛(らこく)という国が合併し暹羅斛となった国名を省略して暹羅と記しているのを用いタイを呼ぶ国名とした。なお、暹という国はスコータイ、羅斛はラウォー(ロッブリー)とするのがポール・ペリオによる研究以来からの定説であったが〔石井 p.48〕、『大徳南海誌』の「諸蕃国」に見える一文「暹国管上水速孤底」と言う記述があることを理由に山本達郎は暹とはアユタヤではないかとする見解を発表し〔Yamamoto 〕、これが2002年に石井米雄によりタイの学会に紹介され新たな定説となった〔Vickery p.14〕。なお暹羅の読みであるが1712年刊行の『和漢三才図会』ではこの語にしゃむろ、シンロウという読みを与えている。しかし、明治期以降シャムの読みが定着した〔。
この他、タイを示す「シャム」、「暹羅」以外の系統の語として、ビルマ語のヨウダヤー ()があげられる。この語は元々、シャムを語源とするタイ北方のタイ族を呼ぶ言葉、「シャン」とは別に、チャオプラヤー川流域のタイ族、およびタイ南部のタイ族を指し示す言葉で、語源はタイに過去に存在した王朝の名前アヨータヤー(アユッタヤー)であると考えられている〔 p.14-15〕。ただし、この言葉はタイに対する蔑称とされる。
一方、20世紀前半までにシャム/ が国名として定着したが、1939年6月24日、時の首相ピブーンは国名をタイに変更する〔石井・吉川(編) p.436〕。これはシャムがチャオプラヤー川流域のタイ族を指す外国からの言葉であり、タイ族の自称である「タイ」に変更するのが適切であったと説明されるが、一方でチャオプラヤー川流域以外のタイ族をも取り込もうとしたピブーンの意図も読み取れる〔Wyatt pp.17-29〕。その後、セーニー内閣時の1945年9月17日いったん国名はシャムに戻されたが、返り咲いたピブーンにより1949年5月11日、国名がタイに戻された〔石井・吉川(編) p.437〕。時は下ってサリット政権時代に、議会で国名にタイがふさわしいかどうか議論がなされたが、結局は国名を維持することになった〔。しかし現在でも、タイという名前に反対する知識人が見られる〔たとえばチャーンウィット博士による "Siam not Thailand" の提言などがある。同提言の要約は 。全文は 〕。 が正式な国号となるのは1855年、英タイ間でボーリング条約が締結された時であった〔。
日本においては『明史』巻三百二十四に見える、暹(せん)という国と羅斛(らこく)という国が合併し暹羅斛となった国名を省略して暹羅と記しているのを用いタイを呼ぶ国名とした。なお、暹という国はスコータイ、羅斛はラウォー(ロッブリー)とするのがポール・ペリオによる研究以来からの定説であったが〔石井 p.48〕、『大徳南海誌』の「諸蕃国」に見える一文「暹国管上水速孤底」と言う記述があることを理由に山本達郎は暹とはアユタヤではないかとする見解を発表し〔Yamamoto 〕、これが2002年に石井米雄によりタイの学会に紹介され新たな定説となった〔Vickery p.14〕。なお暹羅の読みであるが1712年刊行の『和漢三才図会』ではこの語にしゃむろンロウという読みを与えている。しかし、明治期以降シャムの読みが定着した〔。
この他、タイを示す「シャム」、「暹羅」以外の系統の語として、ビルマ語のヨウダヤー ()があげられる。この語は元々、シャムを語源とするタイ北方のタイ族を呼ぶ言葉、「シャン」とは別に、チャオプラヤー川流域のタイ族、およびタイ南部のタイ族を指し示す言葉で、語源はタイに過去に存在した王朝の名前アヨータヤー(アユッタヤー)であると考えられている〔 p.14-15〕。ただし、この言葉はタイに対する蔑称とされる。
一方、20世紀前半までにシャム/ が国名として定着したが、1939年6月24日、時の首相ピブーンは国名をタイに変更する〔石井・吉川(編) p.436〕。これはシャムがチャオプラヤー川流域のタイ族を指す外国からの言葉であり、タイ族の自称である「タイ」に変更するのが適切であったと説明されるが、一方でチャオプラヤー川流域以外のタイ族をも取り込もうとしたピブーンの意図も読み取れる〔Wyatt pp.17-29〕。その後、セーニー内閣時の1945年9月17日いったん国名はシャムに戻されたが、返り咲いたピブーンにより1949年5月11日、国名がタイに戻された〔石井・吉川(編) p.437〕。時は下ってサリット政権時代に、議会で国名にタイがふさわしいかどうか議論がなされたが、結局は国名を維持することになった〔。しかし現在でも、タイという名前に反対する知識人が見られる〔たとえばチャーンウィット博士による "Siam not Thailand" の提言などがある。同提言の要約は 。全文は 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「タイ王国」の詳細全文を読む




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