|
タガミホマレとは日本のアングロアラブ競走馬である。1960年代の地方競馬で活躍し、種牡馬としてもリーディングサイアーに輝いた。 == 競走馬時代 == 馬齢は旧表記を用いる。 150万円で馬主である田上将行に購買されたタガミホマレは、3歳となった1964年、当初はキイカチドキという馬名で園田競馬場でデビューした。2戦目から当初管理していた福地達晃厩舎から藤原幸蔵厩舎〔当時の地方競馬は調騎分離以前の時代だったため、藤原騎手が調教師(当時の呼称は「調教騎手」)も兼任していた。〕に移籍し、4戦目からタガミホマレに改名して出走した。緒戦は5着だったが移籍した2戦目からは7連勝を記録するなど3歳時は12戦9勝の成績を残した。 4歳時は20戦13勝で、当時の兵庫二大競走であった春の銀賞では2着馬マツサカに3馬身差で勝ち、秋の銀賞もサンタクロに6馬身差で勝利したが、秋の白鷺賞(2着)では早くも65キログラムを背負うなど、以後は自身の負担重量との戦いに明け暮れることになる。春木競馬場での大阪府都市競馬組合管理者賞ではダート2000メートルで2分12秒2というコースレコードタイムを残している。 5歳時は新春賞を67キログラムで優勝、5歳以上特別では71キログラムで優勝したが、兵庫大賞典では56キログラムながら3着に敗れ、4月には大井競馬場に移籍した。大井では7月7日にダート2000メートルで行われたワード賞で2分06秒6のレコードタイムで優勝するなど12戦5勝を挙げた。同年にはふたたび兵庫の藤原厩舎に戻ったが、アラブ大賞典を4着と敗れたこともあり、引退して種牡馬にするため中村畜産に600万円で売却されたが、体調が上向いたこともあり中村畜産の所有で翌年も現役を続行した。同年の兵庫所属時の成績は7戦4勝。 6歳時は18戦10勝。兵庫大賞典、園田金盃を優勝し、サマーハンデーでは日本における重賞の最高負担重量勝利となる71キログラムで勝利を収めている〔『ハロン』によるが、反例(1958年、中央競馬の読売カップ〈秋〉での72キログラム)があるため地方競馬限定と思われる。〕。同年はトレード金額の2倍にあたる約1200万円を獲得した。 7歳時は4戦0勝。2月の兵庫大賞典2着を最後に引退した。通算成績は73戦41勝、2着19回3着5回4着3回5着4回で6着以下は1回のみという安定した成績を残した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タガミホマレ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|