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タチアナ・ペレビニス : ウィキペディア日本語版
タチアナ・ペレビニス

タチアナ・ペレビニスTatiana Perebiynis, ウクライナ語:, 1982年12月15日 - )は、ウクライナハルキウ出身の女子プロテニス選手。2005年ウィンブルドン混合ダブルス部門で、オーストラリアポール・ハンリーとペアを組んで準優勝した選手である。自己最高ランキングはシングルス55位、ダブルス35位。WTAツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで6勝を挙げている。
== 来歴 ==
1996年にプロ入り。1999年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップウクライナ代表に選出され、2004年まで6年間代表選手を務めた。ジュニア選手の大会では、2000年ウィンブルドンの女子ジュニア部門でシングルス準優勝・ダブルス優勝がある。2001年全豪オープンから4大大会の予選会に出場し始め、同年の全米オープンで本戦初出場を果たす。2002年6月、ウズベキスタンタシュケント大会でダブルス初優勝を達成。ペレビニスは2004年にシングルスの好成績を多く出し、全仏オープンウィンブルドンで2大会連続の3回戦に進み、8月第2週のスウェーデンストックホルム大会で初の女子ツアー大会決勝進出があった。その決勝戦ではオーストラリアアリシア・モリクに 1-6, 1-6 で敗れ、シングルス初優勝のチャンスを逃してしまう。ストックホルム大会準優勝の後、ペレビニスは2004年アテネ五輪にもウクライナ代表選手として出場した。女子シングルス2回戦では、日本杉山愛と対戦し 7-5, 6-4 で敗れている。
2005年ウィンブルドンで、タチアナ・ペレビニスはオーストラリアポール・ハンリーと混合ダブルスのペアを組み、初めての決勝戦に勝ち進んだ。ハンリーとペレビニスは、決勝でマヘシュ・ブパシインド)&マリー・ピエルスフランス)組に 4-6, 2-6 で敗れて準優勝になった。ウクライナの女子テニス選手によるウィンブルドン決勝進出は、1999年の女子ダブルス準優勝者になったエレナ・タタルコワ以来2人目であった。
ウィンブルドン混合ダブルス準優勝の後、ペレビニスはウイルス感染症を患い、2005年シーズン後半のトーナメントを棒に振った。この期間中にコーチのドミトリー・ザドロツニー(Dimitriy Zadorozhniy)と結婚。2006年2月からツアーに復帰し、同年のウィンブルドン女子ダブルスにおいて、同じウクライナのユリアナ・フェダクと組んで準決勝に進出した。2007年5月上旬にポーランドワルシャワで開かれた「J&Sカップ」のダブルスで、ベラ・ドゥシェビナ(ロシア)と組んで復活優勝を果たす。2007年ウィンブルドンで久々に4大大会の予選会を通過し、本戦2回戦まで勝ち進んだ後、全米オープンでも予選を通過する。2008年には4年ぶりのフェドカップ代表復帰も果たし、北京五輪で2度目のオリンピックに出場する。全米オープンシビル・バンマーオーストリア)との3回戦まで進出した。
ペレビニスは2009年ウィンブルドン選手権を最後に公式試合から遠ざかっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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