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タトラ・603 : ミニ英和和英辞書
タトラ・603
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


タトラ・603 ( リダイレクト:タトラ・T603 ) : ウィキペディア日本語版
タトラ・T603

タトラ・T603(''Tatra 603'' )は、チェコスロバキアの自動車会社タトラが製造した大型のリアエンジン/後輪駆動高級車である。この車はタトラ・T77に始まるタトラ車の流線型セダンの流れをくむ車であり、社会主義時代のチェコスロバキアでは共産党の高官と工場幹部のみが603を使用できた。この車はその他数か国にも輸出された。
== 歴史 ==
タトラ社は (Czech lands) で最高級自動車を製造する伝統的なメーカーであった。オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝カール1世NW type Tを使用し、チェコスロバキア共和国の大統領トマーシュ・マサリクは12気筒エンジンのタトラ・T80 (Tatra 80) に乗り、マサリクの後継者エドヴァルド・ベネシュは流線型のタトラ・T87を使用した。T87は1936年から1950年まで生産される一方で、戦後のT600が新しい政治体制の指導者の専用車として考慮されたかもしれない。T600はかなり小型の4気筒エンジン車であり、戦前の小型タトラ車T97の後継車として造られていた。T97の生産は、ナチス・ドイツにより自国のKdFワーゲンとの類似を隠ぺいするために中止させられた。1948年からチェコスロバキアは社会主義体制となり、その経済は後に東ヨーロッパの社会主義諸国で構成されるコメコン (COMECON) による一定の統制下に置かれることになった。1952年にT600の生産が終了するとコメコンはタトラにトラックの生産のみをさせ、高級車はソビエト連邦からチェコスロバキアへ輸入させることに決めた。
しかし、タトラの熱心な技術者たちは水面下で新型車の開発を続けていた。1952年にFrantišek KardausとVladimír Popelářに率いられた技術陣は1952年に密かに「ファルタ」(''Valuta'' )と呼ばれる新型車の開発を始めたが、表向きは彼らの作業時間は新しい3軸バスのタトラ・T400の開発に費やされていることになっていた。1953年には共産党政府はソ連製の車両の納入の遅れと同時にその品質の低さに愛想を尽かしており、新しい高級車の開発をタトラ社に命じたことで開発チームのそれまでの作業にお墨付きが与えられた。この新型車は3.5リットルの空冷8気筒エンジンを搭載して、1954年末までに生産準備が整うことになっていた。ファルタでの作業のおかげでシャーシはほぼ準備ができていたが、エンジンに関しては課題が残っていた。秘密裏の設計作業ではあったが、誰もこのような大型エンジンに関わったことはなかった。Julius Mackerle技師は、既に開発済みのT603で使用されていた2.5リットルエンジン(このエンジンは既にタトラ社のレースカーやT87-603で使用されて実績があった)をこの新型車に「臨時で」搭載することを提案した〔),。その一方で大型エンジンは4、5年以内に用意できる予定であった。最初の走行可能なT603は1955年に完成した。多数のボディ・デザインが風洞での試験にかけられ、最終的にFrantišek Kardasのデザイン案をVladimír PopelářとJosef Chalupaが仕上げたものが選ばれた。
1956年から1975年にかけて3つの型のT603が順調に生産され、これらはT603、T2-603、T3-603と呼ばれたが、この3つの名称はタトラにより正式に与えられたものではなかった。
T603-1は、透明なカバーの中の3灯ヘッドライトで容易に見分けがつく。
1962年T2-603が発表された。4灯のヘッドライトが横長の楕円形グリル内に収められ、ダッシュボードは変更された。後輪の軸間距離は55 mm拡大され、エンジンが改良された。
1966年はブレーキが倍力装置付きとなり、1967年には前面ガラスの高さが66 mm拡大されたことを含む幾つかの変更が加えられた。
非公式名称-3(又は タトラ・2-603II)ではグリルが廃され、ヘッドライトが直接車体前面に取り付けられた。全4輪がディスクブレーキとなり、法規的な理由(1968年から前席のシートベルトが義務化された)により正式に乗車定員が5名に変更された。
1973年にT603はチェコスロバキア車として初めてポイントレス点火装置を採用した。
複雑なことに「新型」のT603に改装されるために工場に戻された旧いT603は、分解された後に新しいスタイルのボディに載せ替えられ、その後に「新品」のT603として使用するために出荷された。このためほとんどのT603は元々の生産時期に関わらず後期型の-3の姿をしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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