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タマモサポート : ミニ英和和英辞書
タマモサポート[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

タマモサポート : ウィキペディア日本語版
タマモサポート[ちょうおん]

タマモサポート () は日本競走馬。おもな勝鞍はラジオNIKKEI賞京都金杯
==戦歴==
2005年11月京都にてデビュー戦を勝利。年明け2006年2月つばき賞では道中でひっかかってしまったが、そのまま先頭で押し切り2勝目を挙げる。この後、クラシック戦線を見据えスプリングステークス青葉賞に出走するが優先出走権を得るには至らなかった。
その後、春シーズンの締めとしてラジオNIKKEI賞に出走、先行策から直線早めに抜け出し、後の菊花賞馬ソングオブウインドに2馬身差をつけて勝利し、騎乗した津村明秀共々重賞初勝利を記録した。しかし秋緒戦となった神戸新聞杯では道中再三の不利に遭い11着と大敗。結局三冠レースには参戦できずに3歳シーズンを終える。
この後長期放牧休養を経て翌2007年5月新潟大賞典にて復帰するも、大幅な馬体重増や休養明け初戦からか殿負けを喫する。夏開催より一旦準オープンに降格となったがすぐにオープン再昇格を果たし、昇格後は秋の中距離路線に参戦。朝日チャレンジカップオールカマー等では上位人気には支持されるもその期待には応えられず2007年は準オープン1勝に終わった。
2008年東京新聞杯より始動、12番人気という低評価に反発し3着と好走。前年までは2000m前後の距離を使ってきた陣営だが、この年はその距離を1600m前後に置き出走してゆく。関屋記念スワンステークス等マイル前後のレースでは差のない走りを見せ、11月のキャピタルステークスで久々の勝ち鞍を挙げる。
2009年の初戦となった京都金杯では中位置から抜け出し優勝、自身初の連勝を記録し重賞2勝目を挙げた。この勢いに乗り1月31日東京新聞杯に出走、1番人気に支持されたが、最後の直線で伸び切れず6着に敗れた。その後、4月18日マイラーズカップに出走したが、ブービーの9着に終わった。続く都大路ステークスでは3番人気に支持され、中団からレースを進めるも直線で伸び切れず8着に敗れた。続く本番の安田記念では3番手からレースを進めるも、直線で後退して10着に敗れた。レース後、右第1指骨剥離骨折が判明し、休養することになった。休養後、11月28日キャピタルステークスでは2番手からレースを進めたが、直線で力尽きて10着と大敗した。
2010年は連覇がかかった京都金杯から始動。先行集団でレースを進めたが、直線で失速して12着と大敗した。続く東京新聞杯も同様の競馬で10着と大敗した。5月の新潟大賞典で14着と惨敗したのを最後に現役を引退した。
栗東トレーニングセンターの藤岡健一厩舎管理馬であったが、6勝のうち3勝を美浦トレーニングセンター所属の津村明秀の騎乗により挙げており、2勝している重賞はいずれも津村の騎乗であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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