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タムガリ
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タムガリ
タムガリは、カザフスタンのアルマトイ州にある峡谷である。最大都市アルマトイからは北西に約180 km のところにある〔『21世紀世界遺産の旅』小学館、2007年、p.252〕。一帯には紀元前14世紀以降に描かれた5000点にのぼる岩絵(線刻画)群が残されており、周辺に残る住居跡や祭祀場跡と推測されている遺跡群とともに、中央アジアにおける傑出した文化的景観を形成している。2004年には、中央アジアに残る岩絵群の中で、初めてユネスコの世界遺産リストに登録された。 == 岩絵 == タムガリの岩絵群は、48の遺跡地域に分けられているが、5000点を超える岩絵群の約6割は、そのうち5つの遺跡地域に集中している〔ICOMOSの勧告書 p.42〕。岩絵はいずれも金属器や石器で岩の表面を傷つけて線刻描画したもの(ペトログリフ)で、洞窟壁画と異なり、露天の岩面に残されている〔。 岩絵群の中で最も古いものは紀元前14世紀後半ごろのものと考えられており、動物や人物像のほか、神格化された太陽の顔がいくつも描かれている。その太陽像の芸術性は高く評価されている〔。その後、牧畜生活が始まった後に描かれたと考えられているものは、中央アジアの遊牧民が残した他の岩絵群とも似通っている〔。紀元前後をまたぐ時期になると岩絵の多様性が顕著になるが、これは、一帯で暮らす遊牧民が多様化し、それぞれに独自の岩絵を作成するようになっていたことと関係がある。当時暮らしていた遊牧民は、烏孫、サカ、フン族などである〔。その後、中世にはテュルクによって政治的象徴性の強い岩絵が描かれるようになるが、モンゴル帝国の西進(13世紀頃)以降、衰退する〔ICOMOSの勧告書 p.43〕。再び岩絵が描かれるようになったのは、芸術として再評価されるようになった19世紀以降のことである。考古遺跡としての調査は1957年に始まった〔。このため、世界遺産登録地には、一部20世紀の岩絵も含まれている〔ICOMOSの勧告書 pp.42-43〕。
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