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ルキウス・タルクィニウス・プリスクス(羅:Lucius Tarqinius Priscus, 在位:紀元前616年 - 紀元前579年)は、王政ローマの第5代の王。 == 生涯 == === 即位以前 === ティトゥス・リウィウスによれば、プリスクスはエトルリア人の都市タルクィニアの出自で、名前を「ルクモ」と呼ばれていたとされる。現在では「ルクモ」という名がエトルリアでの政治的な地位のある人物を指す言葉だという事が分かっている。また父ダマラトゥスはコリント出身のギリシア人であった。純血のエトルリア人でない彼は、その出自のため本国のタルクィニアでは政治的な地位に就く事は適わず、ローマへと移住したという。この時、一羽の鷲が戦車を駆る彼の帽子を持ち去り、再び戻って帽子を返した。それを見て占いに詳しい者は、これは吉兆の表れと言って喜んだという。 ローマではプリスクスは一躍知られた存在となる。先王アンクス・マルキウスは彼の素質を見抜いて自分の養子とし、息子の護衛とした。先王の死後になって彼は民会で自分が王に適切であると主張、実子に代わりローマの王となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タルクィニウス・プリスクス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lucius Tarquinius Priscus 」があります。 スポンサード リンク
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