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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
タンクレード・ド・オートヴィル(Tancrède de Hauteville, 990年頃クタンス - 1041年頃)は、オートヴィル(アルタヴィッラ)家の始祖。イタリア語名ではタンクレーディ・ダルタヴィッラ(Tancredi d'Altavilla)となる。 タンクレードの生涯についてはほとんど知られていない。コタンタン半島にあるバス・ノルマンディーの街クータンスのノルマン系の一貴族であった彼は、おそらくオートヴィル=ラ=ギシャール(Hauteville-la-Guichard)の村を所有していた。タンクレードは2人の妻によって、12人もの息子を残し、その多くが南イタリアにおいて重要な諸侯となった。 1020年頃、ミュリエル(Murielle)との結婚では以下の子をもうけた(/の後はイタリア名)。 * 鉄腕ギヨーム/グリエルモ(Guillaume Bras-de-Fer / Guglielmo Braccio di Ferro) - プッリャ伯(在位:1042年 - 1046年) * ドロゴン/ドロゴーネ(Drogon / Drogone) - プッリャ伯(在位:1046年 - 1051年) * オンフロワ/ウンフレード(Onfroi / Umfredo) - プッリャ伯(在位:1051年 - 1057年) * ゴドフロワ/ゴッフレード(Godefroi / Goffredo) - ロリテッロ伯 * セルロン/セルローネ(Serlon / Serlone) - ノルマンディーに残留、息子セルローネ2世(1072年没)は叔父ルッジェーロ1世のもとで戦う〔山辺規子 『ノルマン騎士の地中海興亡史』 白水社、1996年、p.91〕。 1025年にミュリエルが死ぬと、タンクレードはフレデゼンド(Frédésende)と2度目の結婚を行い、以下の子をもうけた。 *ロベール・ギスカール/ロベルト・イル・グイスカルド(Robert Guiscard / Roberto il Guiscardo) - プッリャ伯、のちにプッリャ公、カラブリア公、シチリア公。 *モジェ/マルジェーロ(Mauger / Malgero) *ギヨーム/グリエルモ(Guillaume / Guglielmo) - プリンチパート伯 *アルフレッド(Alfred) - ノルマンディーに残留 *ユベール(Hubert) - ノルマンディーに残留 *タンクレード(Tancrède) - ノルマンディーに残留 *エマ(Emma) *フレデゼンド(Frédésende) - アヴェルサ伯・カプア公リッカルド1世と結婚〔J.J.Norwich, ''Die Wikinger im Mittelmeer'', F.A.Brockhaus, 1968. p.312〕 *ロジェ/ルッジェーロ(Roger / Ruggero I) - 大伯爵(''Gran Conte'')と呼ばれたシチリア伯 残る幾人かの女子の名前は知られていない。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タンクレード・ド・オートヴィル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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