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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 語 : [ご] 1. (n,n-suf) language 2. word
西夏語()は、古代の北東チベット・ビルマ語族の言語であり、西夏王朝においてかつて話されていた。言語学者によってはこの言語をチャン語・ギャロン語などとおなじに含めることがある。チベット語やビルマ語とは遠い親縁関係にあり、中国語とはさらに遠い親縁関係にある。 西夏語は11世紀はじめにタングート人によって建てられた西夏王朝(チベット語でミニャクと呼ばれ、漢字で「弥薬」と音訳される)の公用語であった。西夏は1226年にチンギス・ハーンの侵略によって滅亡した。 西夏語は専用の書記体系である西夏文字を持っていた。 西夏語で書かれた現存するもっとも年代の新しい文献は1502年の紀年のある石幢であり、このことは西夏滅亡後300年近くたってもまだ西夏語が使われていたことを示唆する。 == 再発見 == 現代において西夏語の研究がはじまったのは20世紀のはじめにジョルジュ・モリスが西夏文法華経を入手したときにはじまる。そのテクストには誰によるものかは不明だが漢文で注釈がつけられていた。現存する西夏語テクストの大部分はカラ・ホトにおいて1909年にが発掘したもので、その文書は西夏王国のものと判断された。アレクセイ・イワノヴィチ・イワノフ、石濱純太郎、、羅福萇、羅福成、王静如らが西夏語の研究に貢献したが、もっとも大きな貢献をしたのはロシア人の学者ニコライ・ネフスキー (1892-1937) であった。ネフスキーは最初の西夏語辞典を編纂し、数多くの西夏語の助辞の意味を再構し、西夏語文書を読んで理解することを可能にした。ネフスキーの学術的功績は没後の1960年になって「タングートスカヤ・フィロロギヤ」(西夏語文献学)の題で出版された。この著作にはソ連のレーニン賞が与えられ、没後にようやく評価された。西夏語の理解は今も完全というには程遠い。クセニヤ・ケピングによる『西夏語:形態論』(, モスクワ, ナウカ 1985)や、西田龍雄による『西夏語の研究』他によって文法が判明しているものの、西夏語の統辞構造は今もほとんど研究されていない。 カラ・ホト文書は現在サンクト・ペテルブルクのロシア科学アカデミー東洋文献研究所に保存されている。幸いにもレニングラード包囲戦でも失われなかった。ネフスキーが1937年に内務人民委員部に逮捕されたときに持っていた多くの西夏語文書はいったん失われたが、よくわからない経緯によって、1991年になって東洋文献研究所に戻ってきた。東洋文献研究所は約1万巻の文書を所有し、その大部分は11世紀中頃から13世紀はじままでの仏典・法律・法的文書である。仏典のなかには漢訳やチベット語訳の存在しないものが最近になって多数発見された。ほかに儒教の古典や多くの西夏独自のテクストが保存されている。 サンクト・ペテルブルクのものよりはるかに数が少ないものの、大英図書館や北京の中国国家図書館、北京大学図書館などにも西夏語文書のコレクションがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西夏語」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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