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タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ : ミニ英和和英辞書
タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ : ウィキペディア日本語版
タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ[ちょうおん]
タージュ・ウッディーン・シャイフ・ハサン・ブズルグ( تاج الدين حسن بزرگ بن امير حسين گوركان جلايرى Tāj al-Dīn Ḥasan (Buzurg) b. Amīr Ḥusayn Gūrkān Jalāyrī, ? - 1356年)は、イルハン朝系の後継政権のひとつ、ジャライル朝の初代君主(在位:1336年1340年 - 1356年)。名をシャイフ・ハサン( شيخ حسن Shaykh Ḥasan)ともいい、妻バグダード・ハトゥンの甥でチョバン朝の創始者(シャイフ・ハサン・クーチャク)と同名のため、区別して大ハサン( حسن بزرگ Ḥasan Buzurg)、大シャイフ・ハサン( شيخ حسن بزرگ Shaykh Ḥasan Buzurg)とも通称される。
== イルハン朝混乱期以前 ==
父はイルハン朝の有力武将のひとりで、同王朝の第4代君主・アルグンの娘婿フサイン・キュレゲンである〔フサインは、フレグ時代において「部将筆頭」( مقدّمِ امراء muqaddam-i umarā')であったジャライル部族出身の功臣イルゲイ・ノヤンの孫。フサインはホラーサーン赴任時代からオルジェイトゥに仕えており、オルジェイトゥ即位以後もその側近として活躍した重臣であった。アルグンの長女でオルジェイトゥの同母姉妹であったオルジェテイを娶った。オルジェイトゥはこのふたりから生まれたソユルガトミシュも娶っている。〕。ハサン自身も1323年にイルハン朝の有力者だったチョバンの娘バグダード・ハトゥンを娶り、スルドス部族のチョバン家の娘婿となった。アブー・サイードが即位すると、北西方面のアゼルバイジャンからアッラーン、ムーガーン、シルヴァーンの諸地方の支配を任された。1327年、チョバンがアブー・サイードと対立して一族が処刑されると、チョバンが有していた「ウルスのアミール」職に就いた。

1325年頃、妻のバグダード・ハトゥンがアブー・サイードの目に止まり、その妃となった。正式にバグダード・ハトゥンがアブー・サイードの妃になったのはチョバンが誅殺された後と言われており、ハサンはアブー・サイード側の説得によってやむを得ず離婚したと伝えられている。1332年、ハサンはバグダード・ハトゥンと密通しているとの讒言を受けて、アブー・サイードに逮捕され死刑宣告を受けた。しかし、ハサンの母でアブー・サイードの叔母であったオルジェテイ・ハトゥンから嘆願があったため助命された。また告発は誤りであったため、ハサンは無罪となり、ルーム地方の長官に任じられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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