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ターリコータの戦い(Battle of Talikota)とは、1565年1月に行われた南インドのヴィジャヤナガル王国とデカンのデカン・スルターン朝(ムスリム5王国)との戦闘。ヴィジャヤナガル王国の衰退につながる戦いで、インドにおける重要な戦いでもある。 ==概要== ===戦闘に至るまで=== ヴィジャヤナガル王国との戦いは、5王国の前身バフマニー朝から続いており、その分裂後に成立したデカン・スルターン朝(ムスリム5王国)にも引き継がれた。ことにヴィジャヤナガル王国とビジャープル王国のライチュール地方()を巡っての争いは幾度となく続いていた。 そうしたなか、1542年ヴィジャヤナガル王アチュタ・デーヴァ・ラーヤ(在位1529 - 1542)が死亡し、後を継いだ息子のヴェンカタ1世(在位1542)も内乱で死に、王国の実権はクリシュナ・デーヴァ・ラーヤ(在位1509 - 1529)の娘婿とその弟ティルマラ・デーヴァ・ラーヤの手に完全に握られてしまった。 ラーマ・ラーヤの基本政策は、国内を安定させるとともにムスリム5王国を互いに抗争させて弱体化させるというものであり、まずポルトガル人との貿易協定でビジャープル王国への馬の供給を止めて、ビジャープル王国を打ち破り、次にビジャープル王国に同盟を持ちかけてゴールコンダ王国とアフマドナガル王国を打ち破った。 しかし、これはしだいにムスリム5王国の反感を買い、彼らもいいように利用されていることに気づき始めて、ついにビジャープル王国、ゴールコンダ王国、アフマドナガル王国、ベラール王国、ビーダル王国は同盟を結んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ターリコータの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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