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タールディー・ベグ : ミニ英和和英辞書
タールディー・ベグ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

タールディー・ベグ : ウィキペディア日本語版
タールディー・ベグ[ちょうおん]
タールディー・ベグ(Tardi Beg, 生年不詳 - 1556年10月)は、北インドムガル帝国の政治家・武将。
==生涯==
1555年、スール朝との戦いで功績であったバイラム・ハーンが皇太子アクバルの後見人となり、1556年にアクバルが即位して彼が摂政に登用されると、デリーアーグラの総督あったタールディー・ベグはこれに反対した〔クロー『ムガル帝国の興亡』、p.73〕。
同年、スール朝の残党であるヘームーが挙兵し、10月にデリーに軍勢が向けられると(デリーの戦い)、タールディー・ベグは一戦も交えずにデリーを放棄して逃げ、デリーは占領された〔クロー『ムガル帝国の興亡』、p.74〕。
その後、タールディー・ベグはパンジャーブに遠征していたアクバルとバイラム・ハーンと合流したが、ライバルであるバイラム・ハーンはデリーを何の抵抗もなく明け渡したとして、彼を処刑した〔。
タールディー・ベグの処刑により帝国軍は士気を取り戻したが〔、この処刑はバイラム・ハーンとほかのライバルたちとの間で尾を引く形として残った〔クロー『ムガル帝国の興亡』、p.78〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「タールディー・ベグ」の詳細全文を読む




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