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ダイシン百貨店(ダイシンひゃっかてん)は、1964年5月に開店した、東京都大田区山王3-6-3に本店を持つ中堅の百貨店である(法人としての名称は株式会社ダイシン百貨店)。日本百貨店協会には非加盟。 創業者は信州長野のリンゴ農家で、リンゴのヤミ販売から身を起こした。本店の前身は「信濃屋」という八百屋であり、「ダイシン」の由来は、社員からの募集で"大きな信州"という意味を込めて名付けられた。そのため、大森地区にあるからといって大森を音読みしてダイシンとしたわけではない。 == 概要 == 他の大規模チェーンストア・百貨店とは異なり最近までリニューアルに消極的であったため、昭和40年代の地方百貨店の雰囲気を今でも残していることで知られている。生活用品・DIYに関しては圧倒的な品揃えを誇るほか、ドン・キホーテなどの大型激安店のない当時、多数の食料品・生活用品などをおつとめ品といわれる戦略的な安値で提供し、大森周辺はもとより近隣地区からも集客し、休日ともなるとダイシン前の池上通りにダイシン渋滞が発生するほどであった。その他、1971年に休校となった立華学園(高校は休校、併設の幼稚園のみ東京都町田市に移転現存)の校舎を買収して1974年に百貨店として改装した久が原店が存在した。 1998年には本店リニューアルと同時に建て増しを行った。電化製品・住居設備を扱うメディアプラザ、家具を扱う(旧)家具館の3館体制となったほか、久が原店の建て替えを行ったが、すでに当時はバブル崩壊以後の消費不況の真っ只中であり、先読みの甘かった規模拡大は、程なく経営の屋台骨を揺るがすことになる。すなわち、100円ショップなどの安売り店の台頭、イトーヨーカドーなどの大型店の出店の影響、ずさんな在庫管理による不良在庫の膨張もあり、2004年には借入金が100億円を越えるなど経営危機が表面化し2006年には創業家は経営から退く。 この間本館は2004年9月に再リニューアルを行い、家電を本館に再度移した上で旧メディアプラザを家具館、旧家具館をブック館に再編した。一方久が原店は2005年12月に閉店。2006年3月にはブック館を廃止して本店5階に移動し2館体制とし、空きとなった旧ブック館は外部テナントを導入し1000円均一ショップ千金ワールドとした。2007年2月には旧メディアプラザである家具館が閉店、最後に残った旧家具館の千金ワールドも2008年5月25日に閉店し、残ったのは大森本店のみとなる。 経営を引き継いだ建築設計事務所出身の西山敷は、一時の勢いはなくなっているものの依然として地元周辺の人気は強い(2002年12月14日放送、テレビ東京『出没!アド街ック天国』では、富裕層をターゲットとするカドヤ食品(ダイシンの近隣で営業する高級スーパー)に対して、ダイシンは庶民の味方であると、「大森」の第1位となった〔http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/021214/01.html〕)同店のブランド力を生かし、半径500m以内、シェア100%主義をキャッチフレーズに掲げ地域密着型百貨店への脱皮を図っている〔カンブリア宮殿:テレビ東京 〕 。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダイシン百貨店」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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