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ダイナナホウシユウ : ミニ英和和英辞書
ダイナナホウシユウ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ダイナナホウシユウ : ウィキペディア日本語版
ダイナナホウシユウ

ダイナナホウシユウダイナナホウシュウ〔、1951年5月11日 - 1974年1月)は、日本競走馬種牡馬
タマサンの名で1953年に国営競馬(1954年より日本中央競馬会)でデビュー。一説に380kg台という小柄な馬体ながら初戦より連勝を重ね、1954年よりダイナナホウシユウと改名されたのち皐月賞を制覇。同競走までの11連勝は中央競馬における最多連勝タイ記録である。のち連勝を止めたが、同年秋には菊花賞にも優勝し、同年の最良4歳牡馬に選出された。1955年には天皇賞(秋)を制し、最良5歳以上牡馬となる。それから1年の休養を経て、1956年末に新設された中山グランプリを最後に引退した。通算29戦23勝。「褐色の弾丸列車」の異名をとった〔。
1957年より種牡馬となったが産駒に中央競馬の重賞勝利馬はなく、その役目を終えてからは馬術競技馬としても使役された。
== 経歴 ==

=== デビューまで ===
1951年、北海道虻田郡豊浦町の飯原農場に生まれる〔『日本の名馬・名勝負物語』pp.128-135〕。牧場での幼名は「タマサン」〔。1948年の天皇賞(春)に優勝したシーマーを父にもち、同父の同期生産馬には後にライバルと目されるようになるタカオーがいた〔。牧場主・飯原盛作は生産馬に対し極めて厳しい鍛錬を課したことで知られ、タマサン、タカオーともにこの方針のもと育てられた。長じた両馬はいずれも体高5尺1寸〔(約154cm)、体重は平均415kg前後〔、一説にタマサンは380kg台〔『日本の名馬』pp.173-182〕という、当時としても小柄な体格に育った〔。
のち九州で炭鉱を経営する上田清次郎の所有馬となり、京都競馬場上田武司厩舎に入る。清次郎は最初の所有馬ホウシユウが活躍して以来、期待馬に対しては「ダイニホウシユウ」、「ダイサンホウシユウ」と番号を割り振った命名をすることを常としていたが、タマサンにそうした名付けは行われず、幼名がそのまま競走名となった〔。小柄な体格から、当初はさしたる期待を受けていなかったのだとされる〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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