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ダイナマイトダディとは日本の競走馬である。おもな勝ち鞍は京成杯・中山記念・京王杯スプリングカップ。全弟に2000年毎日王冠勝ちなど重賞3勝のトゥナンテがいる。 トウカイテイオー、レオダーバン、イブキマイカグラ、リンドシェーバーらと同期の1991年クラシック世代だったが、度重なる故障で大成を阻まれた「未完の大器」であった。栃栗毛に四白流星の派手なルックスを持つ。 == 戦績 == ※馬齢については原則旧表記(数え)とする。 サクラユタカオーの初年度産駒として1990年11月に東京競馬場でのサラブレッド系3歳新馬戦にてデビュー。新馬戦・500万下と連勝し、朝日杯3歳ステークスへと向かう。これまでの先行策から一転し後ろからのレースを試みるも、直線で馬群を捌くのに手間取り5着に終わる。 翌1991年、京成杯では前からの競馬で危なげなく優勝、サクラユタカオー産駒初の重賞勝利となりクラシックに向け好発進を切る。しかしレース後、右前膝骨折にて全治6か月と診断されクラシック戦線は断念となった。 1992年復帰3戦目にて丸1年ぶりの勝利を上げると、東京新聞杯においても2着と好走する。主戦騎手だった増沢末夫が引退したため、中山記念より加藤和宏に鞍上がバトンタッチされることになった。その中山記念も快勝、続く京王杯スプリングカップでも先行抜け出しのレースで重賞2連勝を果たし、陣営が春の目標とする安田記念に向け大きく前進した。しかしその安田記念ではハイペースから前半に脚を使ってしまい、終い直線伸びず5着に終わる。安田記念のレース後に右前脚骨折を発症したため、ふたたび休養に入った。 1993年1月に帰厩、当初は復帰レースを同年4月の京王杯スプリングカップとしていたが、脚部不安の再発により復帰の構想は白紙に戻されることとなる。 結局1995年1月のアメリカジョッキークラブカップにて2年8か月ぶりの復帰を果たすもすでに8歳、終始後方のまま9着に敗れ、このレースが引退レースとなった。 引退後は社台スタリオンステーション荻伏にて種牡馬として供用されたが、有力産駒を出せずに転々と繋養先を変えていた。それでも毎年1頭から2頭の産駒を送り出していたが、2007年12月に種牡馬からも引退。現在は去勢され十勝軽種馬農協種馬所にて繋養されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダイナマイトダディ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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