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ダイナモ作戦(ダイナモさくせん、Operation Dynamo)は、第二次世界大戦のダンケルクの戦いにおいて、1940年5月26日から6月4日にかけて行われた、連合軍の大規模撤退作戦のイギリス側コードネームである。イギリス海軍中将が本作戦を計画し、イギリス首相ウィンストン・チャーチルにダイナモ・ルーム(ダイナモすなわち発電機があるドーバー城地下の海軍指揮所の一室) にて概要を説明したことから名づけられた〔Holmes (2001); p. 267〕。ダンケルク大撤退(Dunkirk evacuation)とも。 9日間に、860隻の船舶が急遽手配され、331,226名の兵(イギリス軍192,226名、フランス軍139,000名)をフランスのダンケルクから救出した。この“ダンケルクの小さな船たち”(Little Ships of Dunkirk)には、様々な貨物船、漁船、遊覧船および王立救命艇協会の救命艇など、民間の船が緊急徴用され、兵を浜から沖で待つ大型船(主に大型の駆逐艦)へ運んだ。この“小さな船たちの奇跡”はイギリス国民の心に深く刻まれ、大いに士気を高揚することとなったが、実際には兵の80%以上が港の防波堤から42隻の駆逐艦その他大型船に乗り込み撤退していた。 == 撤退の経過 == 当初の計画は、イギリス海外派遣軍(BEF)の将兵のうち45,000名を2日で回収するというもので、これはドイツ軍が撤退阻止行動を開始するまでの時間を予測してのことであった。しかし、この期間に初日の7,000名を含む25,000名しか脱出できなかった〔Liddell Hart (1999)〕。5月27日早朝、10隻の駆逐艦が増援され救出を試みたが浜に近づくことができず、数千名が救助できたにとどまった。とはいえ、狭められつつあるダンケルク包囲網からの撤退のペースは着実に上がっていた。 5月29日、夕方にドイツ空軍の最初の重爆撃があったにもかかわらず47,000名のイギリス軍兵士が救出された〔Keegan (1989)〕。次の日、最初のフランス軍兵士を含む54,000名〔Liddell Hart (1999); p. 79〕が乗船した〔Murray and Millett (2000); p. 80〕。5月31日、68,000名およびBEF指揮官が救出された〔Keegan (1989); p. 81〕。6月1日、日中の撤退を阻止する爆撃が激しくなる前〔にさらに64,000名の連合軍兵士が出発した〔Murray and Millett (2000)〕。6月2日夜、イギリス軍後衛が60,000名のフランス兵とともに出発した〔。さらに26,000名のフランス兵が次の夜、作戦終了前に回収された〔。 フランス軍2個師団は撤退を援護するために残った。彼らはドイツ軍の進撃を阻止したが、間もなく捕らえられた。1940年6月3日、殿軍部隊の残余、フランス軍の大部分は投降した。 翌日、BBCは「(殿軍部隊の指揮官)ハロルド・アレクサンダー少将は今朝、モーターボートでダンケルクの海岸を視察し、イギリスへ帰る最後の船が出発する前に乗り遅れたものがいないか確認した。」と伝えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダイナモ作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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