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ダイナレターとは日本の競走馬・種牡馬である。1980年代末から1990年代初頭にかけてダート路線で活躍した。おもな勝ち鞍は1989年の札幌記念と根岸ステークスで、同年度のJRA賞最優秀ダートホースを受賞している。主戦騎手は杉浦宏昭。 ※馬齢は、当時の旧表記(数え年)とする。 == 戦績 == 1986年11月に中山競馬場の新馬戦でデビュー。2着馬にクビ差の接戦をものにし、初戦を制した。当初は芝の競走を中心に使われたが勝ちきれないレースが続くなど、5歳時の1988年夏までは一介の900万下条件馬に過ぎず、調教師の二本柳俊夫もオープンまでは難しいと評価するなど目立たない馬だった。しかし、この年の秋に東京競馬場でダートの900万下戦を勝ち上がると、以降はダート競走をおもに使われるようになり本格化を見せることとなる。 6歳となった1989年には、休養をはさんで900万下特別、準オープン特別と連勝してオープン入りを果たすと、上り調子で札幌記念に出走した。レースでは、中団待機策から鞍上の杉浦が巧みに内々をついて直線で先頭に立つと、オサイチブレベストの追撃を半馬身差抑えて重賞初制覇。ダート開催の札幌記念のフィナーレを飾った。 このあと芝の函館記念で10着に敗れると、秋からはふたたびダート路線に戻り、オープン特別の神無月ステークスを2着のインターシオカゼに4馬身差をつけて勝利。続く根岸ステークスでは、出走馬中もっとも重い58キログラムの斤量を背負いながら、直線一気の競馬で、2着のツクバセイフウに5馬身差をつけるという圧勝を収めた。 重賞2勝という実績を積み重ねたダイナレターは、翌1990年からは中央競馬のダート路線が未整備であった時代の宿命として、斤量との戦いとなった。フェブラリーハンデキャップでは61.5キログラムのトップハンデも影響してカリブソングの4着に敗れるなど重賞制覇はならなかったが、60キログラム以上の斤量を背負いながらオープン特別を3勝するという活躍を見せた。特筆すべきは武蔵野ステークスで、62キログラムを克服して、2着のシンボリマルタンに1馬身4分の1差をつけ優勝している。 武蔵野ステークス以後は芝の競走を使われ、エプソムカップ5着、オープンの富士ステークス2着などそこそこの成績を収めたが、スプリンターズステークスではバンブーメモリーの15着と大敗するなどGIでは通用せず、翌年の金杯(東)で4着となったのを最後に引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダイナレター」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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