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ダウラト・ラーオ・シンディア : ミニ英和和英辞書
ダウラト・ラーオ・シンディア[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ダウラト・ラーオ・シンディア : ウィキペディア日本語版
ダウラト・ラーオ・シンディア[ちょうおん]

ダウラト・ラーオ・シンディア(Daulat Rao Scindia, 1779年 - 1827年3月21日)は、インドマラーター同盟シンディア家の当主、グワーリヤル藩王国の君主(在位:1794年 - 1827年)。ムガル帝国の副摂政、軍総司令官でもある。
その治世は先代にマラーター同盟内で誇ってきたシンディア家の優位がインドールホールカル家によって覆された時代であり、マラーター戦争でもイギリスに敗北を喫して従属国(藩王国)の地位に落ちた時代でもあった。
==生涯==

===当主位の相続===
1779年アーナンド・ラーオ・シンディアトゥコージー・ラーオ・シンディアの息子)の息子として生まれた〔Gwalior 3 〕。
1794年2月12日、大叔父であるシンディア家の当主マハーダージー・シンディアが死亡し、その養子となっていたダウラト・ラーオが後を継いだ〔。
同年3月3日、ダウラト・ラーオはマラーター王国宰相府にその継承を正式に認められ〔、
5月10日にはムガル帝国の皇帝シャー・アーラム2世により、マハーダージーの保持していた帝国内における地位である副摂政と軍総司令官に叙任された〔。
シンディア家の領土はマハーダージーの治世に中央インドのグワーリヤルを中心に拡大し、ムガル帝国の首都デリーを含む広大な北インドの地域を支配していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ダウラト・ラーオ・シンディア」の詳細全文を読む




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