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ダオルン・チュワタナ : ウィキペディア日本語版
ダオルン・チュワタナ

ダオルン・チュワタナ(、、男性、1969年4月1日 - )は、タイの元プロボクサーウッタラディット県出身。第80代・第83代WBA世界バンタム級王者。ダオルン・MPペトロリアム (, Daorung MP-Petroleum)、ダオルン・チョーシリワット (, Daorung Chor Siriwat) とも。
== 来歴 ==
1985年10月4日、バンコクでのプロデビュー戦に2RKO勝利を収めた。1987年4月9日、タノムサク・シスボーベーが返上して空位となったタイフライ級王座を決定戦で争い、判定負けとなった。同年7月1日には元IBF世界フライ級王者の鄭飛源(韓国)に10R判定負け、8月31日にはタイフライ級王座に挑戦して判定負けを喫し、2連敗となった。1988年1月8日、再び空位となったタイフライ級王座を3RKO勝利により獲得。1989年11月27日、タイバンタム級王座に挑戦し、判定勝利で同王座を獲得した。1990年6月17日、OPBF東洋太平洋バンタム級王者の李恩植(韓国)とノンタイトル10回戦を行い、8RKO負けとなった。
タイバンタム級王座を2度防衛後の1991年10月5日、韓国仁川広域市で閔泳干(韓国)の持つOPBF東洋太平洋バンタム級王座に挑戦し、7R負傷判定勝利により同王座を獲得した。この頃はリングネームをダオルン・チュワタナとしていた。タイ王座は3度、OPBF王座は2度防衛した後に返上した。
1994年7月16日、ウッタラディットで(アメリカ)の持つWBA世界バンタム級王座に挑戦し、初回TKO勝利を収めて同王座を獲得した。同年11月20日、チェンマイで高仁植(韓国)を迎えて初防衛戦を行い、5R負傷判定勝利となった。1995年5月27日、バンコクでラクヒン・CPジム(タイ)を迎えて2度目の防衛戦を行い、三者三様(114-115、115-115、116-114)の判定引分で王座を守った。同年9月17日、ノンタブリーウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)を迎えて3度目の防衛戦を行い、1-2(113-118、114-117、115-114)の判定負けを喫し、王座を失った。この頃はリングネームをダオルン・MPペトロリアムとしていた。1996年4月7日、後のOPBF東洋太平洋バンタム級王者ジェス・マーカ(フィリピン)との2度目のノンタイトル10回戦に再び判定勝利し、次戦で初回TKO勝利を収めて再起4連勝 (3KO) となった。
1996年10月27日、ウィラポンを破ってWBA世界バンタム級王者となったナナ・コナドゥ(ガーナ)にバンコクで挑戦し、9R3-0の負傷判定勝利により同王座を再獲得した。この頃はリングネームをダオルン・チョーシリワットとしていた。翌1997年5月15日、フェリックス・マチャド(ベネズエラ)に2-1(114-113、115-113、113-115)の判定勝利を収めて初防衛に成功した。同年6月21日、フロリダ州タンパので2度目の防衛戦としてナナ・コナドゥと再戦。韓国以外では自身初となったこの試合で7RTKO負けを喫して王座を失い、現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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