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ダキア属州 : ミニ英和和英辞書
ダキア属州[だきあぞくしゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ダキア属州 : ウィキペディア日本語版
ダキア属州[だきあぞくしゅう]

ダキア属州(ダキアぞくしゅう、)は、106年に現在のルーマニアの一部であるトランシルヴァニア地方南東部のバナトオルテニアに設立されたローマ帝国属州。ローマがこの地を占領してすぐに属州化が行われ、274年から275年にかけて放棄された。歴史家によれば、ダキア属州の人口は65万人から120万人の間であったと推測されている〔Georgescu, Vlad (1991). Călinescu, Matei, ed. The Romanians: a history. Romanian literature and thought in translation series. Columbus, Ohio, USA: Ohio State University Press. ISBN 978-0-8142-0511-2. p.6〕。ダキア・トライアナ(Dacia Traiana)やダキア・フェリクス(Dacia Felix)と呼ばれることもある。
2度に渡るダキア戦争101年 - 106年)において、第13代皇帝トラヤヌス(在位 98年 - 117年)がダキア王デケバルスに対して歴史的勝利を挙げたことにより、ダキアはローマ帝国に併合されダキア属州となった。旧ダキア王国の領土のうち、北部のモルダヴィア地方やマラムレシュ地方(英語版)、クリシュナ地方(英語版)は併合されず、帝国外の人が治める地域として残った。
119年、ダキア属州はダキア・スペリオル属州(Dacia Superior)とダキア・インフェリオル属州(Dacia Inferior)に2分割され、さらに124年にはダキア・スペリオル属州がダキア・アプレンシス属州(Dacia Apulensis)とダキア・ポロリセンシス属州(Dacia Porolissensis)に2分割された。またダキア・インフェリオル属州はダキア・マルウェンシス属州(Dacia Malvensis)〔Archaeologists may have discovered the capital of Dacia Malvensis in Romania 〕とも呼ばれるようになる。しかし、マルコマンニ戦争162年 - 180年)が勃発すると、これらの分割された属州の軍事・司法権限は統合され、以後''三ダキア(Tres Daciæ)''と呼ばれるようになる。
属州下のダキアにおいては植民市建設が行われるとともに、鉱山の開発が加速され、農業畜産、交易が盛んになった。ダキア産の小麦は地元に駐屯する軍団の糧秣としてだけでなく、広くバルカン半島各地へ供給されるまでになった。植民市への人口集積も進み、軍団駐屯地を起源とする11から12か所の都市があったことが分かっており、そのうち8か所が植民市の地位を有するほど発展していた。属州都はウルピア・トライアナ・サルミゼゲトゥサと呼ばれ総督プロクラトル)が着任した。また、交通の要衝であるアプルムにはローマ軍団が駐屯していた。
ダキア属州は成立直後より外敵の圧力を受けていた。初期には自由ダキア人が、その後マルクス・アウレリウス帝(在位 161年 - 180年)の治世下では自由ダキア人と同盟を結んだサルマタイ人(サルマティア人)が原因であった。続くコンモドゥス帝(在位 180年 - 192年)とカラカラ帝(在位209年 - 217年)の時代は国境は比較的平穏であったが、その後の帝国混乱期にカルピ人(英語版)ゴート族と共に国境を侵すようになった。248年から250年にかけてのゲルマン人(ゴート族等)の襲来、258年268年のゴート族やカルピ人による侵入、267年269年のゴート族とヘルール族による侵入などが挙げられる〔Treptow, Kurt W.; Bolovan, Ioan (1996). Treptow, Kurt W.; Bolovan, Ioan, eds. A History of Romania . East European Monographs. ISBN 978-0-88033-345-0. p.34〕〔Cottrell, P. L.; Notarás, Gerásimos; Casares, Gabriel Tortella (2007). From the Athenian tetradrachm to the euro : studies in European monetary integration. Studies in banking and financial history. Farnham: Ashgate Publishing. ISBN 978-0-7546-5389-9. p.20〕。このように国境に対する外圧が増す中、270年代になりローマ帝国はダキア属州を放棄した。後世の歴史家は、ガッリエヌス帝(在位 253年 - 268年)治世下に属州が放棄されたとする説や、それはアウレリアヌス帝(在位 270年 - 275年)治世下だとする説も提示している。アウレリアヌス帝は、ダキアを放棄し、ドナウ川の南に位置するセルディカ(現ソフィア)を属州都としてモエシア・インフェリオル属州の領域内に(新ダキア属州)を新設したことでも知られている。
== 主要都市 ==
属州内の主要都市とその都市格
* ウルピア・トライアナ・サルミゼゲトゥサコロニア(植民市)であり、属州都
* アプルム Apulum : ムニキピウムからコロニアに昇格
* ドロベタ Drobeta : ムニキピウムからコロニアに昇格
* Romula : ムニキピウムからコロニアに昇格
* ナポカ Napoca : ムニキピウムからコロニアに昇格
* ポタイッサ Potaissa : ムニキピウムからコロニアに昇格
* Porolissum : ムニキピウム
* Dierna : ムニキピウム
* ティビスクム Tibiscum
* Zlatna
* スキダビア Sucidava : ムニキピウム又はコロニア

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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