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ダグ・デシンセイ こと ダグラス・バーノン・デシンセイ(Douglas Vernon DeCinces, 1950年8月29日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡バーバンク出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == のMLBドラフト3巡目でボルチモア・オリオールズに指名され契約。9月9日の対クリーブランド・インディアンス戦(クリーブランド・スタジアム)の7回表にブルックス・ロビンソンの代走として出場しメジャーデビューを果たす。に三塁手のレギュラーに定着。にはワールドシリーズに出場し、第1戦で本塁打を放つ。 にカリフォルニア・エンゼルスにトレードされると、同年は打率.301、30本塁打、97打点と活躍し、シルバースラッガー賞を獲得。翌にはMLBオールスターゲームに出場した。以後、にジャック・ハウエルに三塁の定位置を奪われるまでエンゼルスの正三塁手として活躍した。シーズン途中の9月にエンゼルス解雇後、シーズン残り7試合でセントルイス・カージナルスと契約。地区優勝を争っていたカージナルスはジャック・クラークの故障で4番打者不在となり、急遽獲得した。チームは地区優勝を果たしたが、プレーオフ出場資格がなかった(プレーオフに出場するためには8月31日までに契約し、チームに帯同していなくてはならない)。 、1月20日にNPBのヤクルトスワローズへの入団が発表された〔朝日新聞縮刷版1988年度版847ページ〕。38歳と年齢的な衰えは隠せなかったが、それでもNPB初打席初本塁打・東京ドームの公式戦第1号や、史上5人目の2試合連続サヨナラ本塁打(2試合とも1点ビハインドで9回裏2死一塁という場面だった。2試合連続逆転サヨナラ本塁打は史上初)を放ち存在感を示した。同年限りで現役を引退。 引退後は実業家兼代理人となる。また、ジャック・ハウエルの代理人も務めた。また、1993年にはレオン・リーと共に映画「ミスター・ベースボール」のテクニカルアドバイザーも務めた。 2011年8月4日、アメリカ証券取引委員会にインサイダー取引の容疑で告発された。医薬品関係の会社情報を入手し、3人の仲間とともに170万ドルもの違法な取引を行い利益を得ていたとされる。その後デシンセイは250万ドルの罰金を支払った。2012年11月28日、同容疑で起訴されていたことが明らかになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダグ・デシンセイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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