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ダグ・ドレイベック : ウィキペディア日本語版
ダグ・ドレイベック

ダグラス・ディーン・ドレイベックDouglas Dean Drabek, 1962年7月25日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手アメリカ合衆国テキサス州ビクトリア出身。
トロント・ブルージェイズ所属のカイル・ドレイベックは息子。
== 経歴 ==
MLBドラフトクリーヴランド・インディアンズから4巡目に指名を受けるが契約せず、ヒューストン大学に進学。1983年のMLBドラフトシカゴ・ホワイトソックスから11巡目に指名を受け入団。はA級とAA級合計で13勝5敗を記録するが8月13日7月18日に成立したトレードの見返りとして1選手と共にニューヨーク・ヤンキースに移籍。はAA級で13勝7敗・防御率2.99の好成績を挙げ〔、5月30日オークランド・アスレティックス戦でメジャーデビュー。6月半ばから先発ローテーションに定着し、7勝を挙げた。11月26日に3選手との交換トレードで、他2選手と共にピッツバーグ・パイレーツに移籍。
パイレーツは移籍前年は最下位に終わり、トニー・ペーニャリック・ローデンジョニー・レイら高給取りのベテランを次々と放出してチームの若返りを図り、新人選手やトレードで獲得した若手選手を積極的に起用。1987年は11勝12敗をあげ、チームの最下位脱出に貢献。1986年から87年にかけて、バリー・ボンズが新人として昇格。他にも移籍してきたボビー・ボニーヤアンディ・バンスライクマイク・ダンらが活躍して、将来に希望をみせた。
には15勝7敗、には14勝12敗と活躍。そしてには22勝6敗、防御率2.76の成績でチーム11年ぶりの地区優勝に貢献。22勝と勝率.786はいずれもナ・リーグ1位で、サイ・ヤング賞に選ばれた。その後も、2年連続で15勝をあげ、チームの3年連続地区優勝に貢献。
しかし、上記の選手たちの年俸高騰は再びチームの経営を圧迫し、ボニーヤが1991年限りでフリーエージェント(FA)で移籍。ボンズとドレイベックも1992年限りでFAでチームを離れた。この後、パイレーツは勝率5割からも遠ざかることとなる。
には故郷に近いヒューストン・アストロズに移籍。初年度は15勝投手が3人居る投手陣〔ピート・ハーニッシュ16勝、マーク・ポーチュガル18勝、ダリル・カイル15勝。〕の中で9勝に終わり、しかもリーグ最多の18敗を喫した。
1994年から1995年のMLBストライキでシーズンが短縮されたは12勝をあげ、初のオールスター出場を果たす。サイ・ヤング賞の投票でも4位であった。
はリーグ最多の31先発で10勝に終わり、も7勝に終わる。はホワイトソックス、はボルチモア・オリオールズでプレイして、この年限りで現役を引退。最後の4シーズンは35勝40敗の成績に終わった。
のドラフト会議で息子カイルがフィラデルフィア・フィリーズから1巡目(全米18位)に指名され、入団した。そして2009年オフ、ロイ・ハラデイとのトレードでトロント・ブルージェイズに移籍し、にメジャー昇格を果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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