翻訳と辞書 |
ダシ=ドルジョ・イチゲロフ
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
ダシ=ドルジョ・イチゲロフ : ウィキペディア日本語版 | ダシ=ドルジョ・イチゲロフ
ダシ=ドルジョ・イチゲロフ(、1852年 - 1927年)は、ブリヤート族出身のラマ僧である。現在でも彼の遺体はブリヤート共和国のイヴォルギンスキー・ダツァンに収められている。 == 生涯 == 16歳で仏門に入り、アニンスキー・ダツァンで仏教哲理、チベット医学を学び、卒業時にチベット薬学の薬理学辞典を作った。1898年には故郷に戻り、ヤンガジンスキー・ダツァンにて仏教哲学と声明を教えていたが、同時にソグション・ダツァンのゲシェーに任命された。 1911年、パンディト=ハンボ12世として認可され、ブリヤートの仏教振興に努めた。また、ロシア帝国内でも随一の仏教指導者として有名であり、ロマノフ王朝300年記念祝賀会に出席、ヨーロッパ初となる仏教寺院、グンゼチョイネイ・ダツァンをサンクトペテルブルクに建立した。その功績により、聖スタニスラス勲章を1917年3月19日に王家より授けられた。第一次世界大戦が開始されると「ブリヤート兄弟社」を設立し、傷病兵の看護や治療、救恤金を供出するなどしてロシア軍を支援、その功績によって聖アンナ勲章を授けられた。イチゲロフは入滅までに50冊以上の薬学書を著している。1926年のロシア革命後、多くの仏教僧がイチゲロフの元へ相談に来たが、「私は国に残る」と言ってソビエト連邦にとどまった。翌年、75歳になったイチゲロフは、入滅の準備を始めた。そして6月15日、「30年たったら私の体を掘り出してくれ」と言い残して入滅した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダシ=ドルジョ・イチゲロフ」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|