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ダジー・ヴァンス : ミニ英和和英辞書
ダジー・ヴァンス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ダジー・ヴァンス : ウィキペディア日本語版
ダジー・ヴァンス[ちょうおん]

ダジー・ヴァンスClarence Arthur "Dazzy" Vance , 1891年3月4日 - 1961年2月16日)は、主に1920年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手アイオワ州生まれ。右投げ右打ち。7年連続で奪三振王となるなど、1920年代のドジャースの主力投手だった。
==略歴==
1915年にネブラスカ州リーグのヘースティングス球団からパイレーツに入団。しかし1試合2回2/3を投げただけで、同年ヤンキースに移籍。ヤンキースでは8試合に出場したが、成績は0勝3敗でなかなか勝てなかった。ヤンキースでの出場は1918年にあと2試合あるのみで、ほとんどはマイナーリーグ暮らしだった。
1922年、ニューオーリンズ球団にいたヴァンスは、当時のブルックリン・ロビンズ(現在のドジャース)に入団。年齢は既に31歳になっていたが、36試合に登板して18勝12敗の成績を残すとともに、リーグ最多の奪三振数を記録し、レギュラーの先発投手の座を射止めた。以後奪三振数は毎年リーグ最多で、1928年まで7年連続の最多奪三振という記録を打ち立てた。
1924年には28勝6敗、防御率2.16、奪三振数262をマークして、投手三冠を獲得。同年の最優秀選手に選ばれる。翌1925年は22勝9敗で2度目の最多勝投手となるとともに、ノーヒットノーランを達成するなど、めざましい活躍をした。
ヴァンスは41歳になる1932年までブルックリンの先発投手として投げ、翌1933年カージナルスに移籍する。この年の成績は6勝2敗、奪三振も67と衰えは隠せなかった。1935年に現役を引退。この時44歳だった。
1955年記者投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1961年フロリダ州で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ダジー・ヴァンス」の詳細全文を読む




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