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ダット自動車製造 : ミニ英和和英辞書
ダット自動車製造[せいぞう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

自動 : [じどう]
  1. (adj-na,n) automatic 2. self-motion 
自動車 : [じどうしゃ]
 【名詞】 1. automobile 
: [どう]
 【名詞】 1. motion 2. change 3. confusion 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 
: [せい]
  1. (n,n-suf) -made 2. make 
製造 : [せいぞう]
  1. (n,vs) manufacture 2. production 

ダット自動車製造 ( リダイレクト:快進社 ) : ウィキペディア日本語版
快進社[かいしんしゃ]
快進社(かいしんしゃ、英語名''Kwaishinsha'' )は日本初の国産自動車メーカーであり、日産自動車の前身である。
== 沿革 ==

* 1911年明治44年)7月1日 - 当時37歳の技術者橋本増治郎(はしもと ますじろう)により「快進社自働車工場(英語名''Kwaishinsha Moter Car Works'' )」として創立。橋本の支援者の一人であった 竹内明太郎 の実弟、当時外交官(イタリア大使館三等書記官)であった後の総理大臣 吉田茂 の所有する東京府渋谷村麻布広尾88番地(現・東京都渋谷区広尾5丁目)の地に創業した。
* 1914年大正3年) - 上野で開催された東京大正博覧会に、V型2気筒10馬力エンジンで3人乗、最高速度は32 km/hの「脱兎号(DAT CAR)」を出品し、銅牌を受賞。エンジンを含めた日本の純国産自動車の1号車である。
: 「DAT」とは、
: 橋本の協力者、男爵 田健治郎 (後の第8代台湾総督田英夫参議院議員の祖父)、
: 通信技術者で同郷の友人、安中電機製作所(現・アンリツ)社長となった 青山祿郎
: コマツの創業者で日本の工業界に多大な貢献を果たした竹内明太郎
: の、三人のイニシャルを並べたものである。
* 1918年(大正7年) - 橋本は東京府北豊島郡長崎町3923番地(現・東京都豊島区長崎5丁目)に資本金60万円の「株式会社快進社」を設立。直列4気筒15馬力エンジンで5人乗、セルフスタータ付のDAT41型を生産した。
* 1923年(大正12年) - 第一次世界大戦後の世界恐慌関東大震災不況により資本金を6万円に減資
* 1925年(大正14年) - 「株式会社快進社」を解散し、「合資会社ダット自動車商会」に改組。
* 1926年(大正15年) - 久保田権四郎の「実用自動車製造株式会社」と合併し、「ダット自動車製造株式会社」(本社:大阪市)が誕生。
* 1930年昭和5年) - 後藤敬義技師らにより「DATSON(のちのDATSUN)」が誕生した。
* 1931年(昭和6年) - 「戸畑鋳物株式会社自動車部」として、戸畑鋳物株式会社(本社:福岡県、社長:鮎川義介)の傘下に入る。
* 1933年(昭和8年) - 「自動車製造株式会社」として再創立され、翌1934年(昭和9年)に「日産自動車株式会社」と改称した。
* 2011年(平成23年) - 快進社創立100周年を記念し、国立科学博物館の「快進社100 周年記念展」が開催された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「快進社」の詳細全文を読む




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