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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ダニエル・コーミエ(Daniel Cormier、1979年3月20日 - )は、アメリカ合衆国の男性レスリング選手、総合格闘家。ルイジアナ州ラファイエット出身。アメリカン・キックボクシング・アカデミー所属。ブラジリアン柔術茶帯。現UFC世界ライトヘビー級王者。Strikeforceワールドグランプリ王者。元KOTC世界ヘビー級王者。 海外のファンからは「黒いヒョードル」と呼ばれる事もある〔Strikeforce's Daniel Cormier Is Cool With Being Called "Black Fedor" MMA.core.com. 2012年〕。 == 来歴 == 1986年の感謝祭の日に父親を射殺される〔http://www.2008.nbcolympics.com/athletes/athlete=1311/bio/index.html Nbcolympics.com. 2008年〕。 近所の高校のレスリングコーチに誘われた縁で12歳からレスリングを始め、ノースサイド高校時代は3度レスリングルイジアナ州王者となった。コルビー・コミュニティー・カレッジに進学後、NJCAAレスリング選手権を2度制覇。その後、オクラホマ州立大学に編入。3度オールアメリカンに選出され、2001年度NCAAレスリング選手権184ポンド(83.5kg)級では2位(優勝はカエル・サンダーソン)となった。同年、デーブ・シュルツ記念国際大会97kg級で優勝するなど実績を積み、2002年から本格的にナショナルチーム入りした。 2004年、アテネオリンピックに向けた国内選考会の直前に交通事故で生後3か月の娘・ケーディーンを亡くした。 2004年、アテネオリンピックレスリングフリースタイル96kg級に出場。3位決定戦でイランのアリレザ・ヘイダリに敗れ4位。 2007年、フリースタイル部門、全米最優秀選手に選出された。 2008年、全米選手権、代表選考会を共に優勝し、北京オリンピックレスリングフリースタイル96kg級に出場が決定するも、コーミエの腎不全のため初戦で不戦敗。また、この年にNJCAA殿堂表彰された。 帰国後、オリンピックで不戦敗を喫した事から深いうつ状態に陥り、睡眠薬や鎮痛剤を乱用する日々が続く。その後、オクラホマ州の地方テレビ局でCM枠を売る仕事に就くが性に合わなかったらしく、本人は「毎日死んでいるようなものだったよ。自分のオフィスに閉じこもって、ランチの時間もずっと寝ていた」と述懐している。後輩のキング・モーの影響で総合格闘技に興味を持つ〔ジョシュとの決戦間近!! ダニエル・コーミエのどん底からの教訓 人間風車 2012年5月11日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダニエル・コーミエ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Daniel Cormier 」があります。 スポンサード リンク
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