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ダニエル・ソルド(Dani Sordo 1983年5月2日 - )はスペイン、カンタブリア、トレラベーガ出身のラリー・ドライバー。 同郷の元WRC王者カルロス・サインツの後継者とも目され、サインツとコンビを組んでいたマルク・マルティがコ・ドライバーを務めている。 ==経歴== 十代の頃に多種のダート競技を経験していたダニエルは2001年にラリーに転向、国内ラリーを中心にスキルアップを続ける。その後ラリー競技へ転向して僅か3年目の2003年に世界ラリー選手権(WRC)デビュー(ラリー・カタルーニャ)を果たすが、その翌年には国内のジュニア選手権にてタイトルを獲得。更にその翌年の2005年にはスペイン選手権、ジュニア世界ラリー選手権(JWRC)の両タイトルも獲得して確実なキャリアを積む。2006年はベルギーのクロノスレーシングからWRCに初のフル参戦、全戦に出場出来た事から年間5位の好成績でシーズンを終えた。 2007年に正式にシトロエンのワークス・チームに昇格し、セバスチャン・ローブの同僚としてWRCに参戦。しかしなかなか優勝がなく伸び悩んでおり、2010年のシーズン途中からはシトロエンのジュニアチームで頭角を表してきたセバスチャン・オジェに(グラベルイベントのみだが)ワークス・チームのシートを奪われジュニアチームに降格となった。結局ソルドは2010年限りでシトロエンから離脱し、2011年は同年より新たにWRCに参戦するBMW(プロドライブ)と契約を結び、ミニの開発ドライバーとして数戦に出場することとなった〔Sordo to drive for new Mini team - Yahoo! Eurosport・2011年1月6日〕。 2012年も引き続きプロドライブからWRCに参戦し、緒戦のラリー・モンテカルロでは2位に入ったが、同年2月にBMW(ミニ)とプロドライブの関係が決裂しプロドライブがプライベーターに降格、さらにプロドライブが資金不足により一部のラリーを欠場することになったため、ソルドはプロドライブとの契約は継続しつつも、チーム欠場時には他のメーカーの車もドライブできるようになった。これにヤリ=マティ・ラトバラの骨折による欠場で一時的にシートの空いたフォードが目をつけ、同年のラリー・アルゼンチンで一戦のみフォード・フィエスタをドライブしている(結果はリタイア)。 2012年シーズン終了後、セバスチャン・ローブの第一線引退を受け、シトロエンはソルドの起用を発表。3年ぶりにシトロエン復帰を果たしミッコ・ヒルボネンの事実上のNo.2ドライバーとなる。〔ダニ・ソルド、シトロエンに復帰が決定! - RALLYPLUS.NET・2012年11月15日〕。2013年は開幕戦モンテカルロで3位表彰台を獲得。その後は着実に成績を残し、ドイツではMスポーツ期待の若手ティエリー・ヌービルと接戦を繰り広げ最終SSでヌービルがコースオフを喫しついに念願だったWRC初優勝を達成した。シーズン終了後の12月10日にヒュンダイ加入が決定した。コ・ドライバーは2010年以来となるマルク・マルティと再びコンビを組む。 2014年はヒュンダイから6戦に出場し前半の3戦はトラブルでリタイアするもドイツでは初優勝したチームメイトティエリー・ヌービルと共にチーム初の1-2フィニッシュを果たした。その後のフランス、カタルニアでは優勝争いには絡めなかったが安定した成績を残しランキング10位となった。シーズン終了後に2年契約を結びティエリー・ヌービルの事実上のNo.2ドライバーとなった。 2015年はフル参戦を果たすが、前半戦は上位争いに何度か絡むも表彰台入賞がなく伸び悩んでしまい更に急成長中のチームメイトヘイデン・パッドンにまで後れを取ってしまうが、シーズン後半では本来のペースを取り戻し地元スペインでは3位表彰台を獲得。ランキング8位でシーズンを終えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダニエル・ソルド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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