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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ダニエル・マーク・ネスター(Daniel Mark Nestor, 1972年9月4日 - )は、カナダの男子プロテニス選手。自己最高ランキングはシングルス58位、ダブルス1位。身長190cm、体重86kg、左利きの選手。これまでにATPツアーでダブルス83勝を挙げる。 ダブルスで史上初のグランドスラム、ATPワールドツアー・ファイナル、オリンピック、マスターズ1000すべての大会を制覇した選手。 == 経歴 == ネスターはユーゴスラビア(セルビア)のベオグラードに生まれ、1976年に4歳でカナダへ移住した。1991年にプロ入り。1992年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのカナダ代表選手となり、カナダ・チームの歴史を通じて最多記録の「15年連続出場」を果たしている。1995年の全豪オープン男子ダブルスで、バハマのマーク・ノールズと組んで初めての決勝進出を果たすが、アメリカのジャレッド・パーマーとリッチー・レネバーグの組に敗れて準優勝になる。1996年のアトランタ五輪で、ネスターはオリンピックのカナダ代表選手として初出場を果たす。最初の男子ダブルスではグラント・コネルとペアを組み、2回戦でイギリスペアのティム・ヘンマン&ニール・ブロード組に敗れた。1998年はノールズとのペアで全仏オープンと全米オープンの男子ダブルス決勝に敗れ、なかなか4大大会のタイトルに手が届かなかった。 2000年のシドニー五輪男子ダブルスで、ダニエル・ネスターはセバスチャン・ラルーとペアを組み、決勝でオーストラリアのマーク・ウッドフォードとトッド・ウッドブリッジの組を 5-7, 6-3, 6-4, 7-6 で破って金メダルを獲得した。ウッドフォードとウッドブリッジは、姓もよく似ていることから「ウッディーズ」(Woodies)と呼ばれた名コンビである。35歳のマーク・ウッドフォードは2000年限りでの現役引退を表明していたが、最後の年に地元開催のオリンピックで有終を飾ることができなかった。 2002年の全豪オープン男子ダブルスで、ネスターは長年の親友マーク・ノールズと組み、決勝でフランスのミカエル・ロドラ&ファブリス・サントロ組を 7-6, 6-3 で破って宿願の4大大会ダブルス初優勝を達成した。この年は全仏オープンとウィンブルドンでもノールズとの組で決勝に進んだが、全仏ではエフゲニー・カフェルニコフ&ポール・ハーフース(オランダ)組に、ウィンブルドンではヨナス・ビョークマン(スウェーデン)&トッド・ウッドブリッジ組に敗れて準優勝に終わっている。2003年の全豪オープン男子ダブルス決勝戦は、2年連続でネスター&ノールズ組とロドラ&サントロ組の対決になったが、ネスター&ノールズ組は 4-6, 6-3, 3-6 の逆転でフランスペアに敗れ、大会2連覇を逃した。2004年の全米オープンで4大大会2勝目を挙げた時もノールズと組んでいる。 2007年全仏オープンの男子ダブルスで、ネスターとノールズは5年ぶり3度目の決勝戦に進み、チェコペアのルーカス・ドロウヒー&パベル・ビズネル組に 2-6, 6-3, 6-4 の逆転勝利を収めた。これで2人の4大大会ダブルス優勝は「3勝」となった。2人は2007年の男子テニス年間最終戦「テニス・マスターズ・カップ」ダブルス部門の優勝を最後に、10年以上に及んだペアの解消を発表した。 2007年シーズンの終盤から、ネスターはネナド・ジモニッチ(セルビア)と組んで大半のトーナメントに出場するようになった。2008年ウィンブルドンにおいて、ネスターとジモニッチのコンビは、決勝でヨナス・ビョークマン(スウェーデン)&ケビン・ウリエット(ジンバブエ)組を 7-6, 6-7, 6-3, 6-3 で破り、ウィンブルドン初優勝を決めた。これにより、ネスターは4大大会男子ダブルスですべてのタイトルを獲得する「キャリア・グランドスラム」を完成させた。ネスターとジモニッチは、2009年ウィンブルドンで男子ダブルス2連覇を達成した。 ネスターとジモニッチは2010年も全仏オープンなど7勝を挙げたが、ペアの解消を発表した。2011年からはネスターはマックス・ミールヌイ(ベラルーシ)と組むことになる。 混合ダブルスでのネスターは、2007年の全豪オープンでロシアのエレーナ・リホフツェワとペアを組み、ベラルーシペアのマックス・ミールヌイ&ビクトリア・アザレンカ組を 6-4, 6-4 で破って初優勝を果たした。それまでのネスターは、混合ダブルスでは3度の準優勝で止まっていた。2003年全米オープンではリナ・クラスノルツカヤ(ロシア)とペアを組み、ボブ・ブライアン(アメリカ)&カタリナ・スレボトニク(スロベニア)組と第3セットのタイブレークまで戦ったが、結局 7-5, 5-7, 6-7 で敗れて準優勝になっている。2006年度は全豪オープン・全仏オープンともリホフツェワとのペアで2大会連続の準優勝に終わったが、ついに2007年全豪オープンでリホフツェワと組んで初優勝を決めた。 4大大会シングルスでのネスターは、1999年ウィンブルドンでピート・サンプラスとの4回戦に進出したことがある。彼は2006年のカナダ・マスターズ1回戦敗退を最後にシングルスから撤退し、現在はダブルスのみに活動を絞っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダニエル・ネスター」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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