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ダニエル・ホワイト(Daniel White, 1912年4月22日 - 1997年4月24日)は、フランス・オー=ド=セーヌ県マラコフ出身の作曲家。ダニエル・J・ホワイト(Daniel J. White)とも表記される。 フランスを中心にヨーロッパ各国の映画界で活躍した。メロディメイカーとして美しいメロディを書く才能に恵まれており、低予算のユーロトラッシュ映画に美しい音楽を作曲したことで知られる。特にジェス・フランコ監督作品の映画音楽を数多く作曲したことで有名であり、フランコ監督のホラー映画『吸血処女イレーナ 鮮血のエクスタシー』 ''La comtesse aux seins nus'' (1973年)に提供した美しいテーマ音楽はマニアの間で高い人気を得ている。映画音楽の他にも、変名を使い分けて数多くのライブラリーレコード(TVやラジオの番組で使用するBGM用の音楽レコード)を発表している。 == 経歴 == スコットランド系移民の息子としてフランスのオー=ド=セーヌ県マラコフに生まれ、幼少時代をイギリスのウェスト・ヨークシャー州で過ごす。その後、家族の仕事の都合でパリに渡って教育を受ける。大学卒業後は父親の家業である綿織物業を継ぐことを予定していたが、父親の事業失敗を機にかねてから興味を抱いていた音楽の道へ進んだ〔『異形の監督ジェス・フランコ~ユーロ・トラッシュ映画がほこる巨匠のすべて』 木野雅之 編著(洋泉社[映画秘宝COLLECTION])〕。 第二次世界大戦中はイギリス軍の通訳として働き、ダンケルクで避難中に重傷を負った。戦後はパリのナイトクラブやキャバレーでジャズピアニストとして活躍。モダン・ジャズのレコード録音にも参加するようになり、1947年からは映画音楽の編曲や録音に関わるようになる。1950年代になると映画音楽作曲家として本格的に活躍を開始する。この時期は主にルイ・ド・フュネスやクローディーヌ・デュピュイが出演したコメディ映画や低予算のフィルム・ノワール映画の音楽で知られる。映画以外にもテレビやラジオのコマーシャル音楽を作曲したり、シャンソン歌手への楽曲提供によって活躍した。 1959年にアンドレ・モーロワの小説を豪華キャストで映画化したフィルム・ノワール映画''"Sursis pour un vivant"''(1959年)の音楽を担当した時期から、この映画を配給したフランスの映画会社ユーロシネとの関係が深くなる。 1962年に、スペイン出身のジェス・フランコ監督が「ジキル博士とハイド氏」を現代的にアレンジしたユーロシネ製作の恐怖映画『悲しい奴』 ''Le sadique baron Von Klaus''(1962年)の映画音楽を作曲する。以降、ダニエル・ホワイトとジェス・フランコとは仕事での協力関係のみならず私生活でも生涯の親友となり、ホワイトは1997年に亡くなるまでフランコの作品に映画音楽を提供し続けることとなる。 1965年には、テレビドラマ『ベルとセバスチャン』 ''Belle et Sébastien''(1965年)の音楽を担当する。『ベルとセバスチャン』はセシル・オーブリーの児童文学(邦題『アルプスの村の犬と少年』。日本では『名犬ジョリィ』としてテレビアニメ化された。)を原作としたファミリー向けドラマであり、フランスのみならずヨーロッパ全土において好評を博した。この番組のためにダニエル・ホワイトが作曲したテレビシリーズ初期の主題歌''"Belle"''(単独での作曲)とテレビシリーズ第二期の主題歌''"L'oiseau"''(エリック・ドマルサンとの共作)は彼のキャリアの中でも最大のヒット曲となり、特に''"L'oiseau"''は現在もフランスで歌い継がれている。 1970年代になると、長く関係を持っていた映画会社ユーロシネが、B級C級のホラー映画やポルノ映画を専門的に製作するようになる。ユーロシネの路線変更後もホワイトは同社との関係を保ち続け、以降はほぼユーロシネ専属の作曲家のような存在になり、ポルノ映画や女囚映画など一般的には低俗とみなされる映画に美しい音楽を数多く提供した。日本で人気を博したフランスのポルノ女優サンドラ・ジュリアンの主演映画でも、確認される限りでは2回音楽を担当している。 1997年、85歳の誕生日を迎えた2日後に死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダニエル・ホワイト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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