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ダニエーレ・ベンナーティ(Daniele Bennati、1980年9月24日- )は、イタリア・アレッツォ出身の自転車競技(ロードレース)選手。2002年にプロデビュー。現在のロードレース界におけるトップスプリンターの一人。 ステージレースのポイント賞部門では常に上位に食い込む活躍を見せ、ステージ優勝も多数収めている。 == 経歴 == 2002年 * アクアサポーネ・カンティーナトッロでプロデビュー。 2003年 * ツール・ド・ポローニュ の第3ステージで勝利するなどしてスプリンターとしてのキャリアを積んでいく。 * ドミーナ・ヴァカンツェで1シーズンだけマリオ・チポリーニといっしょに走った(後年のインタビューでチポリーニはアシストたちがベンナーティをアシストするようになったのを見て、自身の引退の時期を考えるようになったと語っている)。 2005年 * ランプレ・カッフィータへ移籍。 * 春先のヘント〜ウェヴェルヘムで3位に入る。 * 8月のドイツ・ツアーでは第3、第5、第9ステージで優勝してポイント賞を獲得。 * ツール・ド・ポローニュの第2、第4ステージで優勝。 * GP西フランス・プルエー 4位 * パリ〜ツール 2位など年間を通して活躍した。 2006年 * カタルーニャ一周の第7ステージでの優勝 * ツール・ド・スイスのポイント賞獲得など安定した成績を残した。 2007年 * 春のデ・パンネ3日間の第1ステージで勝利してポイント賞を獲得。 * ツール・ド・スイスでは2年連続のポイント賞獲得。 *好調のまま臨んだツール・ド・フランスにおいて、第17ステージで小集団での逃げを決めてスプリント勝利。念願のグランツール初勝利を達成し、最終ステージでもトル・フースホフトやエリック・ツァベルらを抑えて2勝目をあげた。 * ブエルタ・ア・エスパーニャでは、第1ステージを制してマイヨ・オロを1日着用。さらにその後の第17ステージでも勝利。さらに最終ステージでも勝利してデニス・メンショフからポイント賞を奪い取り、メンショフの四賞独占を阻止する大活躍を見せた。 2008年 * リクイガスに移籍。 * ツール・ド・ロマンディでステージ優勝&ポイント賞を獲得。 * ジロ・デ・イタリアでは、第3、9、12ステージで勝利し、2位のエマヌエーレ・セッラに60ポイントの差をつけてポイント賞のマリア・チクラミーノを獲得した。 *その後、ジロ期間中に左足を痛めた影響もあってツール・ド・フランスへの出場は見送った。 * エネコ・ツアーでステージ1勝 * ブエルタ・ア・エスパーニャでもステージ1勝(これ以外にチームTTでも1勝)、さらに第4・第5ステージにマイヨ・オロを着用した。 * そしてシーズン終盤のジロ・デル・ピエモンテも制して大活躍のシーズンを締めくくった。 2009年 * トロフェオ・インカ 優勝 * 12年ぶりの開催となったジロ・ディ・サルデーニャでステージ1勝&総合優勝と好調な滑り出しを見せた。 * しかし、ティレーノ〜アドリアティコで落車して腿を負傷。この負傷が長引いてジロ・デ・イタリア欠場を余儀なくされた。 * 復帰後も以前の強さは鳴りを潜め、ツール・ド・フランスではステージ9位が最高と、ほとんどスプリント争いに絡めず。 * ブエルタ・ア・エスパーニャでも度々スプリントには絡むものの、ステージ優勝はあげられなかった。 2010年 * ティレーノ〜アドリアティコ 区間1勝 * ヴァッテンフォール・サイクラシックス 6位 2011年 * レオパード・トレックに移籍。 * ヘント〜ウェヴェルヘム 2位 * ブエルタ・ア・エスパーニャ * 区間1勝(第20) * 総合首位(第2) * ポイント賞部門 2位 * 世界選手権・個人ロードレース 14位 2012年 * ミラノ〜サンレモ 10位 * ヘント〜ウェヴェルヘム 6位 * ブエルタ・ア・エスパーニャ・第18ステージ 優勝 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダニエーレ・ベンナーティ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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